台北国際空港に総統が降り立つ。動員された支援者が歓声をあげる。それが、なんだか寒々としているのである。一緒に見ていた友人が「台湾はかわいそう。もう中国と一緒になるしかないのね」とつぶやいた。政治にほとんど関心をもたない普通の「在台日本人」がこういう感想を持つようになった日として、二〇〇六年五月十二日、あるいは今回の総統の旅は、将来の台湾省史に記録されることだろう(台湾の未来は人口の98%を占める漢人自身が決定する。
中国に吸収されたら台湾は可哀相とかいう発想はいまだに台湾を属国のように思っている一部日本人の傲慢さの表れだと私は思っているが・・・)。
「国民」としてのまとまりに欠ける人々が「中華民国」という虚構の国家を維持してきたのには、米国の後ろ盾なしにはありえなかった。彼らは現実的にも精神的にも、米国を「父」として仰いできた。台湾の総統が米国本土に降り立つことはありえないのだという、今回の米国政府の強い態度が投じた波紋は少なくない。彷徨する総統機は、保護者を失って放浪する孤児の姿にも似ている。
二十年前の李登輝総統の就任以来、「台湾革命」を多くの人たちが支持し応援してきたと思う。一気に台湾独立に進むかのような勢いもあった。近年は、統一派と独立派が勢力拮抗していると評されてきた。しかし、あっという間に、事態はここに至った。いま少なくとも台北では独立など話題にする人はいない。
今年の年末の台北高雄市長選挙、再来年の総統選挙、ともに関心は低い。結果が見えているのだ。民進党などは、台北市長選挙に立候補を名乗り出る人すらいないありさまである。
いまテレビは、総統夫人に続いて娘婿が株で数億かせいでいたというニュースを流している。毎日毎日その手の話を聞かされていると、それが真実かどうかにも、みなは関心をもたなくなってくる。台湾の人たちがこの間なんとか塗り上げてきた「国家」としての体裁が急速にその輝きを失いつつある、そういう感がしてならない。陳さんは果たして任期まで務められるのだろうか。
*写真は、最近ようやく「介寿館」という正面の看板をはずした台湾総統府。介寿とは、蒋介石の長寿を祝うという意味。陳総統が任期中におこなった数少ない価値ある事績といえるかもしれない。