「沖縄は日本の領土だった?」
最近、日本と台湾の新聞に、台湾政府が沖縄県においている代表機関の名称を変更することにした、という記事が掲載された。すなわち、「中琉文化経済協会琉球弁事処」という在沖代表部の名称を「台北駐日経済文化代表処駐琉球弁事処」(仮称)に変更するというものである。
ほとんどの人が目に留めない小さなニュースだが、これには実は、「両国」の国家認識にかかわる重大な変更が含まれている。
清の時代も含めれば、1879年(明治12)の明治政府による沖縄県の設置、あるいは1911年の中華民国の誕生、あるいは1972年の沖縄施政権の返還以来、「中華民国」(台湾)は今まで一貫して、沖縄県の存在、すなわち沖縄に対する日本の主権を認めてこなかったのである。
試しに、台湾で市販されている地図をみると、沖縄の部分には、琉球群島と黒字で記されているだけで、県庁所在地のマークや沖縄・那覇という地名すらない場合が多く、学校教育でも、そのように指導されてきた。その長い「沖縄県設置を認めず」の伝統的政策がついに改められることになったというわけである(琉球王国は、清朝と冊封関係にあった)。
ところで、台湾と日本には国交がない。そのために大使館や領事館の代わりに、「民間」を装った機関がビザなどの発給をおこなう代表部として設置されている。例えば、台北に「交流協会」(日本代表部)があるように、東京・大阪・横浜・福岡には、台北駐日経済文化代表処(台湾代表部)などと称する機関がある。
しかし、「琉球は日本ではない」という建前から、沖縄には、まったく別組織の「中琉文化経済協会」という機関が設けられてきたのである。その名称を東京や大阪と同じ台北駐日経済文化代表処に変えるという形で、台湾政府は「沖縄県」の承認を宣布したといえる。
こうした背景から、台湾では今まで、沖縄県人は日本国民と同等に扱われてこなかった。教育部が支給する留学生の奨学金も「日本人枠」とは別に「琉球人枠」があるなど、むしろ優遇されていた面もあったのだが、そうしたちぐはぐな政策も改まることになろう。
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