【イラクメディアのインタビューに答える】(アルビル)
イラク初・日本被団協原爆パネル展
6月20日、21日、29日にアルビル、ハラブジャにて、日本被団協の「原爆と人間展」が開催された。
イラク国内のヒロシマ、ナガサキへの関心は高く、彼らの要望に応える形での今回のパネル展開催だった。会場と警備は文化省が手配してくださった。
残念ながら、日本被団協からは誰も来られなかったが、被爆2世代表(?)として、つなぎ役の私が、現場で走り回ることになった。
展示品は原爆の被害や被爆者の現状を伝える日本被団協の写真パネルなど60点と原爆瓦と被爆着物。それぞれに英語、アラビア語、クルド語の解説をつけた。
ハラブジャでは、被害者として同じ苦しみを共有できたとの声があがった(ハラブジャ)
当日は一般市民だけではなく、アル・イラキーヤがニュース特集を組んでくれるなど、国内各局、新聞、雑誌、外国通信社など多数のメディアが取材に来てくれた。文化大臣が来場するなど、パネル展は当初の予想を大きく超えた。
今回、88年にイラク軍の化学兵器による攻撃でクルド人5000人が殺された北東部のクルド人の街、ハラブジャの化学兵器被害者協会と日本被団協は国連のコフィ・アナン事務総長へ、核兵器、化学兵器の廃絶と、イラクの暴力停止を訴える共同メッセージを送った。
「加害者としての戦争の過去と原爆の悲惨さを身を持って体験した日本は、平和の大切さを心に刻んで新しい国づくりをはじめた」と話すと、イラクもそうであってほしい、という声が多く聞かれた。
キルクークなどから、原爆パネル展のオファーが来たが、またいつか機会があればと思う。その時は主役である被爆者の人たちにぜひ語ってもらいたい。