焼身決起男性との再会 イラク・モスル近郊
クルド人抑圧に抗議し、ドイツで焼身決起をした男性、ムスリムさん(56)と12年ぶりにイラクで偶然に再会した。
【やけどの跡が残るムスリムさん。再会はあまりに偶然だった…】
モスル近郊のとある場所での取材中、たまたま乗せてもらった小型トラックを運転していたのがムスリムさんだった。
彼に会うのは12年ぶり。お互い顔を見合わせて驚いた。
90年代はじめ、彼の焼身決起の模様を、日本のテレビニュースで見たことが、私が今の仕事をするきっかけになった。(詳しくはアジアプレス編「アジアのビデオジャーナリスト」で)
当時、ドイツ政府はクルド人を抑圧するトルコ政府に対して武器を供与しているとして、クルド人が激しい抗議行動を展開していた。
高速道路を封鎖したクルド人男性たちが、ドイツの機動隊に囲まれた。その中から自らの体にガソリンをかぶって火をつけ、機動隊に突っ込んだのがムスリムさんだった。
世界中に配信されたあの映像。ご記憶の方もいると思う。
彼は全身やけどの重傷を負い、病院に収容され、ドイツ警察に拘束された。
焼身までして彼は何を訴えたかったのか。当時、普通の会社員だった私だが、彼に会いに行くことにした。
アムステルダムのカフェの片隅に座っていたムスリムさんは、やけどの跡が痛々しく、ひどく痩せていた。握手した手があまりにも冷たく、力がなかったのをよく覚えている。
「私の故郷クルディスタンへ行って人びとが弾圧されている状況を知れば、なぜ私がこんなことをしたのか分かるはずだ」
彼は私に言った。
そして私はクルディスタンへ向かったのだった。
現地では、クルドゲリラとトルコ軍の衝突が激しさを増し、軍への協力を拒んだという理由でクルドの村々が軍に焼かれたり、無人化されたりしていた。
その後、私は何度かアムステルダムでムスリムさんの居場所を探したが、見つけることはできなかった。もしかしたら亡くなったのではないか、と思っていた。
そんな人とイラクで会うなんて夢にも思わなかった。
「あなたに言われたことがきっかけで、私はクルド問題を取材するようになったのよ」
と私が言うと、ムスリムさんは、「いや、いや」となぜか照れて頭をかいていた。
オランダでやけどの治療をしたあと、シリアでしばらく過ごし、いまはイラクで独り暮らしの身。トルコに残された家族を思うとなんともいえない気持ちになるが、自分の生き方に後悔はしていないという。
「あんたも後悔しないように、しっかりな」ムスリムさんは張りのある声で私に言った。以前とは全く違う、力のはいった硬い握手は、緊張の続く日々に少し疲れた私の心を立て直してくれたような気がした。