<レバノン戦争とイラン ~イスラムの大義に揺れる大国~>
その2 イラン政府のジレンマ
【町なかにはあちこちにヒズボラの指導者ハサン・ナスロッラー師を支援するポスターが。/テヘラン市内】
レバノン戦争が始まってしばらくすると、テヘラン市街のいたるところに、豊かなあごひげを蓄えたヒズボラの指導者ハサン・ナスロッラー師のポスターが張られるようになった。
大きな広場や交差点には数メートル四方の巨大ポスターも見られる。その数はイランの最高指導者ハーメネイー師のものより多いかもしれない。
「ハサン・ナスロッラーは優れた指導者です。イランでも尊敬されていますよ。イラン人は一般的にアラブ人が嫌いですが、彼だけはイスラエルに対し勇敢に戦いを挑んでいますからね」
国営企業に勤める30代の男性はこう答えた。
長いゲリラ活動の末、2000年にレバノン南部からイスラエル軍を撤退させた実力は、ヒズボラがシーア派組織であるにもかかわらず、広くイスラム社会で認知されるきっかけとなり、彼の名声をも不動のものにした。
ヒズボラは1982年、レバノン内戦のさなかに設立され、レバノンにおける反イスラエル闘争とシーア派の地位向上の中心的役割を果たす組織となった。アメリカはヒズボラを「テロ組織」と認定しているが、その内実は軍事部門と民生部門に別れ、民生部門ではベイルート南部や貧困地帯で学校や病院、診療所の設立などの福祉活動に力を入れる一方、テレビ、ラジオ、新聞など独自のメディアを有し、その広範な活動から常にレバノン国会に議員を送り出してきた合法政党でもある。
その理念はイランのイスラム革命の影響を強く受けていると言われ、表向きイランは否定しているが、財政的にも軍事的にもイランの支援を受けていると言われる。そのためアメリカは、今回のイスラエルのレバノン侵攻当初から、イランを非難してきた。
イスラエルがレバノン南部に落とした爆弾が、その破片からアメリカ製であることをヒューマン・ライツ・ウォッチが指摘している一方で、アメリカはヒズボラが打ち放つミサイルやロケット弾を、さしたる証拠もなくイラン製だと決めつけ、紛争の長期化の責任を一方的にイランに押し付けてきた。英米のこうした非難をかわすのは、イラン政府も慣れたものである。しかし、たとえ義勇兵とは言え、イラン国籍の若者がヒズボラと合流したとあっては話が別だ。
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