車中では話がはずみ、幹線道への分岐で下車する予定が、せっかくだから今夜はバードルードまで一緒に行って、彼らの寝泊りする銀行支店に泊まってゆけということになった。
バードルードはナタンズの北東20キロの地点にあり、鉄道や古くからの街道沿いにあることから、ナタンズ市より幾分活気がある。人口は2万人ほど。「風の河」を意味するバードルードは、その名の通り風が強い。町の周囲は、この町の特産であるザクロの広大な果樹園に囲まれ、果樹園の新緑が、荒野を渡ってくる強風を和らげる役目を果たしている。
町の中心街にあるサーデラート銀行の前で監査役の二人と私を車から降ろすと、アービヤーネ村支店長は村へと帰っていった。イランでは銀行の建物の上階は、たいていその支店の支店長宅になっているが、ここでは関係者の宿泊所になっていた。今夜ここへ誘ってくれた監査役のモフセニーさんとジャアファリーさんは、一週間近くここに寝泊りしながらアービヤーネ村支店へ毎日通っていたという。
だが、その仕事も今日でようやく終わり、明日は本店に帰れるのだそうだ。モフセニーさんはさっそく家に電話をかけ、明日は家に帰れると家族に報告している。
「こんなふうにいつも地方を飛び回っているんですか?家族と離れ離れで、大変なお仕事ですね」
私がそう言うと、ジャアファリーさんは、
「いや、地方出張はローテーションになっていて、一ヶ月に一回、一週間の出張が回ってくるんだ。会社も考えてくれているよ。イラン人にとって、家族は何より大切なものだからね」
と言い、モフセニーさんの電話が終わるや、今度は自分がかけ始めた。
テレビでは夕方のニュースが始まっていた。イラクで拉致され、最近解放されたばかりの在イラク・イラン領事館の二等書記官のニュースが流れていた。この二等書記官はイラク北部アルビルのイラン大使館に勤務中、米軍の急襲を受け、そのまま連れ去られて行方不明になっていた人だ。4月に入ってようやく解放され、イランに帰還すると、拘束中に激しい拷問を受けたことを公表した。
アメリカはこの件への関与を否定しているが、イランはCIAの関与を確信し、国連や国際赤十字を通してアメリカに抗議している。
テレビの画面には、二等書記官の身体に残る生々しい拷問の傷跡が映し出されている。足には何箇所もドリルによって開けられた穴が残り、脊髄も損傷している彼は、車椅子での生活もままならない。
「見なよ。あれがアメリカのやり方だ。人間性のかけらもない。イラン人は絶対あんなことはしない。文化の違いだよ。アメリカは歴史がないからな。人間性の面で培われてきたものもないんだよ。あれでよくよその国の人権がどうこう言えるよ。イラン航空機爆破事件を知っているか?1988年にペルシャ湾で、アメリカ艦艇によってイランエアーの航空機が撃墜され、乗客290人が殺されたんだ。そういうことを平気でする国なんだ」
ジャアファリーさんはテレビを見ながら憤っている。どうにも怒りが収まらないらしい。私はそのときになって、サーデラート銀行がアメリカによって経済制裁の対象銀行にされていることを思い出した。ジャアファリーさんは頷くと、こう言った。
「そうだとも。そのせいで、まあ、いくらかの損害は受けたよ。うちを介してイランと貿易を行っていたヨーロッパの企業は、他の銀行に変えざるを得なかったしね」
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