イマーム・ホサインはシーア派三代目イマームで、ササン朝最後の皇帝の娘を娶ったことなどから、古くからイラン人に人気がある。西暦680年、4000人のウマイヤ朝軍に対して、73人で立ち向かい、自らの正義と信仰を貫いて殉教したキャルバラの悲劇は、毎年イスラム暦モハッラム月に行われる追悼行事アーシュラーを通して、今もイラン人を陶酔させてやまない。
イマーム・ホサインはシーア派にとって、権力と圧制に対する正義の戦いのシンボルであり、近代では革命や戦争の中で常に重要なファクターとして精神的かつ政治的な役割を果たしてきた。イマーム・ホセインの物語のなかでは、死は勇ましく、尊く、そして美しいものなのだ。
翌朝、私は二人に別れを告げ、テヘランへ戻る車中の人となった。
荒野の中を、比較的古いアスファルト道が北へと伸びている。荒野にはラクダ草に混じって、黄色い小さな花が随所に見られ、砂漠にもはかない春が訪れていることを教えてくれる。そんな景色の中に、点々と高射砲台が見えはじめ、核施設のそばまでくると、それは数100メートル置きに並ぶようになった。朝の7時前からすでに砲手は砲台に上り、何もない曇り空を睨んでいる。聞いた話では、核施設に対する空爆ないしミサイル攻撃には、まず迎撃ミサイルが応戦し、これら無数の高射砲はその後の補完的な役割を果たすのだという。
地中深く、厚いコンクリート壁に覆われたウラン濃縮施設を破壊するため、アメリカとイスラエルは、普通のバンカーバスター(地中貫通弾)ではなく、小型核を搭載した核バンカーバスターを使用するのではないかと言われている。そのため、ナタンズは、広島・長崎以降、世界で初めて核攻撃される危険が最も高い場所と言われている。
以前、アフマディネジャード大統領は演説の中で、「核施設が攻撃されて破壊されたなら、さらに良いものをまた作ればいい」と国力を誇示する発言を行なった。この発言には、周辺住民の甚大な被害に対する視線はない。
同じように、アメリカとイスラエルは、「核施設という軍事目標へのピンポイント攻撃」の了解を、いずれ世界に求めるかもしれない。しかし、核施設への‘ピンポイント’攻撃などありえないということを、世界の人々は知ってほしい。(終了)