彼が亡くなってから1年余りたったころ、「故岡部氏も(靖国神社に)合祀」という見出しの記事が朝日新聞に出た。
「通信職務遂行のため戦死した新聞記者が同神社に合祀されることは全く今回が始めてで遺族並に本社の光栄はこの上もない次第である」(1938年10月7日付け東京朝日新聞)。
【北京郊外の盧溝橋】
このころ、日本は破滅的な結末を迎える戦争へひたひたと走っていた。満州事変後は朝日新聞だけでなく、すべての新聞が大政翼賛的な報道へと舵を切り、ほとんどの記者たちは「皇軍の大義」を疑うことはなかったようだ。
中国の戦場で若い記者が見たものは、お国のために勇敢に戦い、命を捧げる日本兵の姿であり、日本軍の侵略によって苦しむ中国の人びとの姿は、彼の目には映っていない。
いま私が「あの戦争は侵略戦争だった」と言えば、岡部はどう思うだろうか。
「大東亜の解放を信じて散華した日本の将兵を愚弄するな!」と憤激するかもしれない。
残念ながら、多くの記者たちは戦争の実相に目をつぶり、人びとを侵略戦争へ駆り立てるような記事を書いてきた。その事実は動かない。
(続く)
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