【はじめに】
近年、私が取り組んでいるテーマは、戦争のできる国に変わるおそれの高まる日本の現状です。有事法制の成立、日米軍事一体化、自衛隊のイラク派遣、強まる改憲への動きなどに、その問題点が表れています。
政府はいわゆる日米同盟を絶対視し、軍事的な関与を深めています。その流れの先には集団的自衛権の行使があり、憲法9条を変えて自衛隊を国軍化することがあります。アメリカとともに、正確にはアメリカに従属して、地球的規模で戦う体制を作ること。つまり、イラク戦争のようなアメリカの戦争に協力し、戦闘行為にまで踏み込める体制づくりが進んでいます。イラクでは、航空自衛隊がアメリカ軍の兵站支援を続け、軍用物資やアメリカ兵も運んでいます。ある意味で、すでに参戦しているわけです。
「われわれはどんな時代に生きているのか」をジャーナリストとして考えるとき、日本が再び戦争をする国になりつつある現状に危機感を覚えます。
これまで戦後62年の間、日本の兵士が他国の人びとを殺傷することはありませんでした。しかし、仮に憲法9条を変えたら、再び日本の兵士が他国の人々を殺傷する、日本の軍用機が他国の人々に対して爆弾を落とす、そんな時代になってしまうでしょう。それは、日本人が再び戦争の加害者になってしまうということです。
私がこの問題と取り組むのは、20代から30代にかけて、アジアの少数民族の問題を取材するために東南アジア諸国を訪ねたとき、かつての日本軍による侵略戦争の歴史、加害の歴史の爪痕に触れた経験があるからです。
たとえば1983年にフィリピンのミンダナオ島に行ったとき、レイテ島から小さな連絡船に乗りました。外国人は私ひとりで、フィリピン人乗客から名前を聞かれたので、「ヨシダです」と答えると、
「第2次世界大戦のときに、自分たちの村にキャプテン・ヨシダ(吉田大尉)に率いられた部隊がやってきて、人殺しをしたり、略奪をしたり、家を焼いたりした。お前の父親ではないのか」と言われました。私は凍りついたような表情になりました。
しかし、「自分の父親はフィリピンに来たことはない。日本では吉田という名字が多いから、それは人違いです」と説明しました。それで納得した様子の人もいましたが、最後まで疑いの目で、硬い表情で私を見ていた人もいました。アジアには、そういう現実もあるわけです。
私はビルマ(ミャンマー)北部のカチン州とシャン州に、1985年3月から88年10月まで滞在し、取材をしたことがあります。カチン語で第2次世界大戦、アジア・太平洋戦争のことを「ジャパン・マジャン」と呼びます。
ジャパンは日本、マジャンは戦争を意味するので、すなわち「日本戦争」という意味です。かつて日本人がやってきて起きた戦争ということです。自分の父親が日本軍の憲兵隊に連合軍のスパイと疑われ、拷問されて殺されたという人にも会いました。道路や飛行場の建設のために強制労働をさせられたという人もいました。
しかし、カチン人やシャン人やパオ人など、私が訪ねたビルマの少数民族の人びとは、日本軍による戦争の被害に遭った過去があるにもかかわらず、私を受け入れてくれて、ご飯を食べさせてくれ、泊めてくれ、またマラリアに苦しんだときは手厚く看病もしてくれました。
そして私が、「日本は戦争で加害行為をしたが、戦後は憲法9条ができた。自衛隊は存在するものの、再び海外派兵をして他国の人々を殺傷したりしない国になった」と説明すると、「そうか、わかった」と納得してくれる人もいましたし、憲法9条のことを知っている人もいました。
つまり、戦後日本人がアジアで、旅行やビジネス、留学、取材などができるのは、戦争はもう二度としないとの約束を憲法9条というかたちでアジアの人々に対してしているからこそではないか、と私は思うのです。
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