彼らがこれだけ短期間のあいだに急拡大をした要因は、武装勢力のメンバーの顔ぶれを見ると明らかだ。メンバーの大半を占めるのは、農村に住むジャナジャティ(少数民族)やダリット(アウトカーストの人たち)、そして女性といった、歴史的に抑圧されてきたグループに属する人たちなのである。
彼らと話してみるとわかるが、彼らが夢見ているのは「平等社会」だ。

つまり、彼ら自身や彼らの家族が受けてきた社会差別、経済差別、性差別が、彼がマオイストになる大きな動機となっているのである。
マオイストはネパールの社会の大きな部分を構成する歴史的な抑圧層をターゲットに、組織を拡大したのである。

さて、マオイストが武装革命の戦略として、ロシア型の労働者を中心とした都市部運動型の戦略をとらずに、毛沢東がとった農民を中心として、「農村から都市部を包囲する」という人民戦争戦略を選んだ理由は、ネパールに大量の労働者を抱える産業がないこと。人口の大半が農村部にすむ農民であることだが、ネパールで起こった政治運動は1970年代にジャパで起こった反地主の武装運動を除くと、1990年の民主化運動を含めて、そのほとんどが都市部を中心に進められた。

したがって、マオイストの人民戦争は、ネパールの歴史上、農村部、しかも山岳地帯の農民が中心となって起した初めての政治運動ということになる。それは、10年後、ネパールの国家を大きく変えるまでに発展したのである。
<続く>

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