爆音のない静かな空を!
~厚木基地周辺住民、半世紀の訴え~ 第10回  【吉田敏浩】

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【市街地上空を飛ぶ米軍FA-18戦闘攻撃機】
【市街地上空を飛ぶ米軍FA-18戦闘攻撃機】

米軍機墜落事故とベトナム戦争
厚木爆同や基地周辺自治体からの度重なる要請の結果、1963年9月、日米政府代表からなる日米合同委員会は「厚木飛行場周辺の航空機の騒音軽減措置」を合意した。

その内容は「運用上の必要、及び緊急の場合を除き、午後10時から午前6 時までの飛行禁止」「離着陸時を除き、人口稠密〔ちゅうみつ〕地域の上を低空飛行しない」などで、在日米軍基地に関する全国初の飛行規制となった。しかし、この規制も実態としては守られず、騒音被害が減ることはなかった。

1964年9月8日、大和市上草柳の館野〔たての〕鉄工所に米軍のF-8C戦闘機が墜落し、死者者5人、負傷者3人の惨事が起きた。4月5日には東京都町田市でも死者4人、負傷者32人の墜落事故が起きている。この年、厚木基地関連の米軍機墜落事故は9件に上った。

相次ぐ事故は住民と自治体に衝撃を与えた。厚木爆同は街頭署名を添えて日米政府と米軍に強く抗議し、基地移転を求めた。大和市議会は基地移転の要望書を可決し、基地対策協議会も基地移転の請願をした。大和市、綾瀬町、座間町(現座間市)、海老名町(現海老名市)、藤沢市でつくる厚木基地対策合同委員会も基地移転の要請をした。
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