爆音のない静かな空を!
~厚木基地周辺住民、半世紀の訴え~ 第9回 【吉田敏浩】
騒音というよりも痛音
その後、横浜法務局の調査結果を受け、法務省人権擁護局は1964年10月、「基地の実状が直ちに人権侵犯であるか否かの結論はにわかに下せないが、基地周辺の住民が生活上、物的、精神的に被害を受けているのは事実だから、基本的人権を尊重した憲法の精神からも何らかの救済措置の必要がある。主務官庁である防衛施設庁は、さらに検討のうえ適切な措置を講じられたい」という趣旨の報告をまとめた。
爆音被害に日々さらされる住民にとって、それが人権侵犯であるのは明らかだった。しかし、日米安保による基地使用を最優先させる日本政府と米政府・米軍の壁は厚かった。
それでも、厚木爆音防止期成同盟(厚木爆同)は政府関係機関や自治体、米政府・米軍に対して、「基地出入りの飛行は隔日とし、午後6時から午前8 時までの飛行とエンジンテストは厳禁とする」など、爆音防止を求める陳情や請願を繰り返した。集会を開き、デモもおこなった。
「とにかく何とかしなくては生命がもたないと、みんなが考えたほど爆音がひどいし、墜落事故も何度も起きていたわけです。もはや騒音というよりも暴音、痛音と言った方がいいでしょう。頭や耳の中に突き刺さり、腹の底まで響いてくる爆音には、思わず体がすくみ、子どもはおびえて親にしがみつきます。その深刻さは、やはり住んでみないとわからないものなのかもしれません。ともかく住民運動なんてみんな初めてでしたが、必死でやらざるをえなかったんです」
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