(ビルマ)長井健司さんの死を悼む
昨日(9月27日)の午後、ビルマ(ミャンマー)のヤンゴンで取材中の長井健司さんが撃たれて死亡した。危険を承知で赴いたとはいえ、やはり痛ましい。
事件の詳細はわからないが、デモ隊に向けて発砲した軍の流れ弾にあたったということらしい。状況からみて、彼自身が狙い撃ちにされたということではないようだ。
ぼくの記憶では戦争取材などで亡くなった日本人ジャーナリストは、ここ20年間で4人目である(交通事故やヘリコプターの墜落事故、病死などは除く)。他の3人は、88年10月1日、アフガニスタンでゲリラに従軍中、地雷を踏んだ写真家の南条直子、2004年5月27日、イラク取材中、武装勢力の襲撃で殺害された橋田信介と甥の小川巧太郎。南条と橋田はぼくの友人だった。
4人に共通しているのは、全員がフリーランスであるということだ。新聞、テレビの記者たちが戦争取材へ行かなくなった分、戦場などの危険地域の取材はおもにフリーのジャーナリストたちの領域となっていた。今度も特派員たちにはビザが発給されず、大手メディアの記者たちは入国できていない。またビルマに滞在していた記者たちも国外退去処分となっているらしい。
このような場合、フリーはジャーナリスト・ビザではなくて、観光ビザで入国することが多い。時には隣国から、ゲリラ部隊に従軍して国境を越えることもある。不法出入国となるが、それもやむをえない。ジャーナリストはまず現場に立たなければ、仕事は始まらない。長井さんも、同じ気持ちだったと思う。
ただ、フリーの場合は、往々にして組織的なバックアップ体制が弱いため、その分、取材上のリスクは大きくなる。それでも、「危ないから行かない」という選択はない。職業上のリスクは引き受けざるをえない。
ジャーナリストとはそのような仕事なのだから。アジアプレスでは、99年9月25日、インドネシア人のメンバー、アグス・ムリヤワンが東ティモールで、インドネシア軍の命を受けた民兵に射殺されている。「殺害された」という連絡を受けたときの衝撃はいまでも忘れない。
ビルマについては、私も88年の軍事クーデターや少数民族の武装闘争などを取材したことがあり、ビルマ軍の残虐な行為は幾つも目撃した。その酷薄な体質はまったく変わっていない。軍事政権はなぜそこまで非情になれるのか。
「記録すること」が私たちの仕事であり、長井さんもギリギリまで現場に踏みとどまりたい、と思っていたに違いない。
無念にも志半ばにして斃れた長井さん。あなたのスピリットを私たちは決して忘れることはないでしょう。いまは安らかにお眠りください。 (野中章弘)