すると、今度は
「では、あなたはコミュニストですか?」と聞いた。
この質問にもはっきりと、「違います」と答えると、彼は
「では、私たちはあなたを信用しません」と言った。
「無理やり、信用していただかなくとも結構です。私はできるかぎりの取材をしますので」
と答えると、サントス・ブラは笑っていた。
その後も、この手の質問はよく受けたのだが、「私は共和制は支持するが、共産主義者にはなれない」と答えると、なかには「あなたは正直だ」というマオイストさえいた。
当時(今でも)、カトマンズに住む人たちのなかには、「マオイスト」と聞くと、まるで「山賊」と変わらないかのような反応を示す人もいたのだが、少なくとも、ロルパやルクムでは、私のような外国人ジャーナリストに対して、彼らはとても親切で協力的だった。
サントス・ブラとも、その後何度もロルパで会っているが、「信用しません」という最初に会ったときの言葉にもかかわらず、ずいぶん協力をしてもらった。
チャウリジャハリで最初に会ったときに、サントス・ブラは私にまず、「あなたは何歳ですか」と聞いてきた。
「どうしてですか?」と聞き返すと、
「あなたを"ディディ(姉のこと、一般的に年上の女性を呼ぶ愛称)"と呼ぶべきか、それとも"バヒニ(妹のこと、年下の女性を呼ぶ愛称)"と呼ぶべきかわからないからです」
と答えた。
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