そこで、私の年齢を言うと、私のほうが年上であることがわかり、それ以降、彼は私をいつも「ディディ」と呼ぶ。
チャウリジャハリから、初めてロルパのタバン村に行くとき、すべてのアレンジをしてくれたのもサントス・ブラだった。
タバン村は彼の生まれ育った村でもある。
早朝、彼がつけてくれたガイドとともに出立するとき、サントス・ブラは
「ディディの足だったら、タバンまで4日かかるでしょう。私のこの杖を持っていきなさい」
と言って、柄の部分に鳥の彫刻をほどこした杖を差し出した。
緑色に塗られた、その杖はしっかり使い込んであり、とても立派なものだったのだが、だからこそ、拝借するのが申し訳なく私は「大丈夫です」といって断った。
結局、タバン村までは2日半で歩いたのだが、途中、川の雪解け水を飲んだために、喉をやられてしまい、タバンに着いたとたんに高熱を出して寝込んでしまった。
2004年の9月に、私は樹立したばかりのマガラート自治区に関する取材をするために、サントス・ブラと会うためにロルパに行った。
ガルティガウン村で彼を待つあいだ、治安部隊に包囲されるという経験までしたのだが、10日後にサントス・ブラはやってきた。
あとで聞いたところ、私が来たという知らせを受けたときにはカピルバストゥにいたのだという。
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