クルディスタン 山をおりるとき~(4) 写真・文 玉本英子
イスタンブール中心部にほど近い、クルド人が多く暮らす地区に女性ゲリラ兵、アルジンの実家はあった。
古い木造の建物の地下にある一家の部屋は、昼間も光が差し込むことはない。
薄暗く、壁紙が剥がれ落ちた部屋に、アルジンの両親ときょうだい、あわせて8人が暮らしていた。
私が現地で撮ったアルジンの写真を、母親のバハルさん(35)に見せると、
「生きていたんだね」
と、写真に何度も口づけをして涙を浮かべた。
「あの子は頭のいい子でした。でも家にお金がなかったから、学校へ行かせてやれなかった」
と、バハルさんは話す。
アルジンは7歳のとき、トルコ南東部の故郷の村からイスタンブールに逃れ、路上で野菜を売る父親の手伝いや、幼いきょうだいの面倒をみてすごしてきた。
そんな日々のなか、クルド系の政党で活動するようになった彼女は、自分と同じ境遇の若者がたくさんいることを知る。
「なぜ、私たちはこんなところで暮らさなければならないのか」
「なぜクルド人ばかりがこんな目に遭うのか」
アルジンは、そう母に尋ねていたという。
部屋の隅では、アルジンの弟と妹がクルド語とトルコ語を混ぜたぎこちない会話をしていた。
都市部に移住してきたクルド人の多くはトルコ語を話せたが、なまりや文化の違いから、トルコ社会になかなか溶け込めずにいた。 つづく
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(初出 04年)