法廷では、国側は「米軍・自衛隊は日本の安全や国際平和に貢献し、高度の公共性を有しているので、住民は騒音被害を受忍すべきだ」と主張した。
それに対して原告側は、「基本的人権と平和主義に基づく憲法の下、国防が特に高度の公共性を有して住民の生命・健康・生活に優越するわけではない。深刻な騒音被害は公共性に反しており、住民にのみ犠牲を強いるのは不公平だ」と主張した。
判決は1982年10月に下された。
「日米安保条約に基づく米軍機には日本の裁判権は及ばない。防衛行政権の取り消し変更を求める自衛隊機の飛行差し止めは、民事訴訟としては不適」との理由で飛行差し止め請求は却下された。
一方で、「騒音被害は受忍限度を超え、飛行場の設置・管理者である国には瑕疵〔かし〕があり、その侵害行為は違法」として、損害賠償は認められた。
「つまり、賠償金は出すから、爆音は我慢しろという判決でした。せめて夜だけでも静かに眠りたいという、人間としてごく当たり前の要求は門前払いされたわけです」と鈴木が言うように、原告にとっては納得がゆかず、すぐに控訴の手続きがとられた。
~つづく~ (文中敬称略)
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