【厚木基地周辺の市街地上空を飛ぶ米軍戦闘攻撃機】
【厚木基地周辺の市街地上空を飛ぶ米軍戦闘攻撃機】

控訴審での全面敗訴を受けて、原告らは最高裁に上告した。最高裁での口頭弁論も含めた審理は7年近くに及び、1993年2月、飛行差し止めは却下のまま、損害賠償についてだけ見直し、東京高裁に差し戻す判決が言い渡された。

そして1995年12月、差し戻し審判決が出た。受忍限度を超える騒音被害への損害賠償を認め、「国防にだけ特別高度な公共性は認められず、住民にのみ犠牲を強いるのは不公平」とする内容だった。提訴から19年。この間に原告の高齢化は進み、92人のうち15人が亡くなっていた。

1984年に原告161人で提訴していた第2次訴訟の1審と2審の判決(1992年と1999年)でも、認められたのは損害賠償のみで、飛行差し止めは却下された。
1997年に、厚木爆同の会員以外にも広く呼びかけて、5047人の住民が原告となり提訴した第3次訴訟では、飛行差し止めは求めず、損害賠償の請求に的を絞った。2002年の1審と06年の2審、両判決で損害賠償が認められている。

(文中敬称略)
~つづく~
<<< 前 │ 次>>> 「爆音のない静かな空を」 <第18回>

★新着記事