「ちりとてちん」3
【上の紙幣は中国国民党が1936年に中国で発行した10円札。下は同じく1972年に台湾で発行した50円札】
百数十万の難民を伴い、「国家」機構もろとも台湾に逃げ込んできた蒋介石率いる中国国民党。
彼らは地球史上未曾有の困難を背負うことになった。
それは、俗な言い方をすれば、台湾が当時アジアではもっとも「生活水準」の高い地域だったことによる。
しかも彼らは本土を追われて落ち延びてきたのであり、この島以外に行くところがない切迫した状態だった。
中国国民党による台湾支配は、一種の外来政権の「侵略」ともいえるものだったが、侵略される側のほうがずっと経済水準も教育水準も高いという「ねじれ」の関係があったのである。
このような例は世界史上きわめてまれなはずだ。
そうした場合、支配者はどのようにしてこの異郷の地を我が物としていくのか、台湾住民にとって実に迷惑なことだったが、台湾はその歴史的実験場となった。
蒋介石が台湾においてまずやったたことは三つである。
一つは、エリートの抹殺。1947年の二二八事件では、日本教育を受けた各界のリーダーたちを中心に約三万人が虐殺された。
第二は、インフレーションを創出し、台湾人の財産をゼロにすること。その決定的政策が1949年の新台湾元デノミネーション。貨幣価値を四万分の一にした。
第三に、台湾の主たる富裕層だった地主を解体した土地改革。これらの政策を通じて中国国民党は台湾支配の基盤を築いたといえる。
そして、つづくのが島民の洗脳、子供たちの教育である。
(この項続く)