人民戦争の最中に出産
クランティと同じルクム郡出身のビマラ・KCと初めて会ったのは、2003年2月のことだった。
そのとき、私はルクム郡チャウリジャハリ村で開かれたルクム郡人民政府宣言集会を見にいったのだが、ビマラはこの郡人民政府のメンバーだった。
実は、私はこのときの出会いをよく覚えていなかったのだが、その後、ロルパにティラで彼女と再会したときに、ビマラに言われて思い出したのだった。
ビマラも2005年12月のババン村の大集会に来ており、このときにはルクムコットまでの3日間、彼女と彼女の助手を務める15歳の少女“サンジュ”と行動を共にした。
当時ビマラはマオイストの女性組織のラプティ県会長だった。私は、日中はビマラとサンジュとともに歩き、夜は同じ部屋に寝袋を並べて寝た。
ビマラくらいの地位になると、同性の助手がつく。“ボディーガード”兼“見習い”と言ってもいい。ビマラは歩いている途中で、よくサンジュにコミュニスト思想の話をしていた。
話はそれるが、ビマラの助手のサンジュは、とても繊細で可憐な少女で、どうやってマオイストになったのか実に不思議に思ったものだった。
あるいは、よくあることだが、強制的にマオイストにさせられたのかと思ったのだが、間接的にいろいろな質問をすると、自分の意思で入ったようで、
「将来は人民解放軍の兵士になりたい」
という。
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