このサンジュが、彼女の生まれ育った村に着いたとき、村の同級生と出くわした話をしてくれた。
同級生はサンジュの顔を見るなり泣き出したのだという。
村ではサンジュが襲撃で怪我をしたという噂が流れていたらしく、同級生は無事なサンジュを見て、感極まって泣いたらしい。

ある日の朝、私はビマラと二人だけで陽だまりに座って、みかんを次々に食べながら、彼女の身の上話を聞いた。
ビマラはコミュニストのシンパだった母親と、共産党の党員だった学校の教師の影響で、クランティと同様に学生のときにコミュニストになったのだった。
ビマラは村にいた「ラージャ(王)」と呼ばれる“タクリ(貴族カースト)”の生活を見て、強い反発を持ったこと。

とくに、子供のときに結婚をさせられ、一生苦労をさせられる女性たちの姿を見て、「平等」を説く共産主義思想にひかれたのだと話した。
ビマラもクランティと同様に、党内結婚をしていた。
人民戦争が始まったあとに妊娠し、妊娠8ヶ月まで、大きなお腹を抱えてロルパやルクムの山道を歩いた。
出産は密かにカトマンズに行き、病院で帝王切開をして娘を産んだ。

その後、十分な休みをとる暇もなく、子供を連れて戻り、娘は実家に預けて活動を続けた。
ビマラに限らず、出産直前まで活動を続け、産後にきちんと休まなかったために、健康を害する女性マオイストが大勢いる。
出産後はたいてい実家や親戚に子供をあずけ、何ヶ月かに一度会いにいく。
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