鰯は不足する石けんを作る油を絞っていた(70年代の北朝鮮の石けんが魚臭かったと記憶している人が多い)。
タラも食べきれずに腐らせるほどだったという。
それが、80年代に入ると次第に食卓に上らなくなり、80年代後半には、たまにタラの配給があると、人の上に人が乗っての取り合いになるほどだったという。
そして、90年代に入ると、食糧配給の遅配欠配が恒常化する中で、魚介類の配給など、一般庶民には夢の話しになる。
魚が人の前から姿を消したのは、海から魚いなくなったせいではなく、漁獲できなくなったからである。なぜか?簡単に言えば経済破綻のせいだ。
外貨不足によって燃料の油の輸入、漁船や漁具の製造、輸入、保守が困難になった。
原価を考慮しない硬直した配給制度は当然維持できなくなる。
動く船は、外貨獲得のために日本向け(鮮魚など高級魚)、中国向け(スルメ、干しタラ)の輸出用の魚介類を獲るのに回された。
庶民の食卓などは後回しであり、金日成ー金正日の誕生日の特別配給の時にでも、塩漬けが拝められたら幸運、という有様だった。
国家は国民に魚を供給する意志も能力も喪失してしまったわけだ。
この構造は現在も基本的には同じである。
しかし、平壌の総合市場には新鮮な魚が並んでいる。しかも、近隣の西海岸では獲れないサンマが見える。誰が運んできたのか?
サンマの姿は次のようなことを物語っている。
東海岸の生産者(漁民)が獲り、それを流通業者に卸し、腐らないよう冷蔵保管されながら平壌まで運送され、いくつかの卸商を経て、市場で最終消費者に販売されている。
そのような生産ー運送ー小売りの流通網が、北朝鮮の中でもできあがっていることを示している。
我々の住む資本主義の社会では当たり前のことであるが、社会主義を標榜した北朝鮮の統制経済では、魚介類の流通も、すべてを国家機関が計画、実行しなければならなかった。
さて、では、新しい流通網は、政府が政策として作ったのか?
金正日将軍が指導してできたのか?
否である。
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