それは、奇妙で謀略の匂いがする事件だった。
2004年4月22日午後1時ごろ、平安北道龍川(リョンチョン)郡の龍川駅で石油と硝酸アンモニウムを積んだ貨物列車同士が衝突し、大規模な爆発が起き多くの死傷者が出た、と世界のメディアが報じた。
この事故は、金正日が中国訪問を終えて特別列車で龍川駅を通過した後、約8~9時間後に発生したため、その原因については、事故、爆発テロ説を含めて様々な憶測が飛び交い、世界が特別な関心を寄せることとなった。
時間がたつに連れて、北朝鮮内部では事故の原因について、様々な情報が飛び交った。「韓国の安企部(韓国情報機関の旧名)から金をもらった者が、将軍様暗殺を企てたらしい」という話が、広い範囲でまことしやかに噂されていた。また、北朝鮮の情報機関・国家安全保衛部による自作自演説も北朝鮮の一部で囁かれている。が、真相は依然不明のままだ。
記者シム・ウィチョンは、2006年9月、龍川郡に隣接する新義州市に赴いてこの事件について取材した。取材対象は40代前半の龍川出身の知り合いの女性である。彼女は結婚後、夫について故郷を出たが、実家が龍川にあって、商売のためにしばしば龍川の実家に出入りしている。そのため、現地の事情に非常に詳しい。
シム・ウィチョン:龍川駅の爆発事件についてはよくご存じですね。それはいつのことですか?
女性:その年(2004年)の4月22日、昼12時頃でしたね。ちょうどその当時、中国訪問を終えて帰ってきた将軍様を乗せた列車が、本来は龍川駅を通過して平壌に向かうことになっていたんですが、どうしたことか白馬の方に回って行ったんです。
(注: 新義州‐白馬線を指す。その日、金正日将軍が乗った列車は、龍川駅を避け、白馬線(新義州‐白馬‐ヨムジュ)方面へ迂回して行ったという。地図参照)。
その白馬には、将軍様の特閣(別荘)がありました。カンボジア国王のノロドム・シアヌークの特閣もありました。けれども、今はそれら特閣は全部なくなりました。場所を移動したんです。
シム:白馬の方の1号特閣(金正日専用特閣)が、爆発事件の後に全てよそに移ってしまったということですか?
女性:そう。急になくなってしまいましてね。特閣を全部どこかに移してしまったですよ。「爆発事故のとき将軍様の列車が白馬の方へ回って行った後、急になくなってしまった」と、皆、言ってますよ。
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