「ちりとてちん」その4
【蒋介石の肖像を入れた旧千元札と現在の千元札】
蒋介石は、どう台湾の子弟を教育したか。
一言で言うと、「半世紀にわたる植民地支配で滅茶苦茶になった台湾は国民党の指導下、めざましい復興を遂げた。君たちは栄えある中華民族の子孫だ」というもの。
これを「台湾之奇跡」と自画自賛していたのだが、日本時代を経験した人たちの眼から見れば、アジアで有数の先進国だった台湾は、中国国民党の支配によって、長く停滞を余儀なくされた。いまでも香港・シンガポール・韓国の後塵を拝しているではないか。これこそ「台湾之奇跡」だ、ということになる。
それゆえ、戦後の中国国民党の支配を「是」とする勢力と、「非」とする勢力では、日本時代への評価と歴史認識がまったく正反対。史実は往々にして誠実な研究の対象となるどころか、政争の道具となってきた。
そもそも蒋介石は、台湾史そのものを抹殺しようとしたといえる。台湾の歴史や地理はないがしろにされ、あくまで台湾の扱いは中国の一省にすぎなかったのである。
20年前、私が初めて台湾にきた頃は、住民はほとんど自らの島の歴史を知らなかったし、「私は台湾人です」というフレーズにすら抵抗感を示した。「台湾」そのものがタブーだった。
半分日本人化していた住民を中国人に改造するため、蒋介石は、「私は中国人です」という教育を徹底してやった。これほどピュアな中華思想の意識的な注入がおこなわれた時代と地域はおそらく地球史上みつけることは困難であろう。
【改修中の中正紀念堂】
蒋介石の死後(1975)、その功績を記念する記念館ができ、それは中正紀念堂として、実に三十年近くも市内の中心部に鎮座し続けた。
台湾人の財産を奪い、エリートたちを抹殺した独裁者をいつまで称え続けるのかと、中正紀念堂が廃されたのは、2007年末、つい一週間ほど前のことである。
軍服を着た独裁者はなにゆえに、この台湾に受け入れられたのだろうか。
(この項続く)