「独裁者の亡霊」
昨日(2007/12/23)をもって蒋介石の「ご遺体」を警護していた国軍の兵士がその任務を解除された。
前回ご紹介したように蒋介石元総統は1975年に死亡。その遺志により台湾に埋葬されず、中国大陸に帰る日を待つことになった。1988年に死亡したその実子蒋経国元総統も同様である。
二人の遺体は保存処理が施され、桃園県の慈湖と称する場所に安置されていた。この間、三十年以上にわたって、国軍の兵士が直立不動でおそばに仕えてきたのだが、昨日をもって、この異様な状態に終止符が打たれたのである。
警護にあたってきた兵士は、兵役中の台湾庶民の子弟である。こんな馬鹿なことはしたくない、という若者は出てこなかったのであろうか。一方今回の撤退も、さしたる抵抗もなく、スムーズに完了したようだ。
中正紀念堂の廃止に続き、これで陳水扁総統は、独裁者の残照をさらにひとつ消し去ったことになる。
政権末期にある陳水扁は、国際空港や郵政会社の名前を変えたり、このところ公共機関の看板のすげ替えに急がしい。国会を野党に抑えられ、国民の支持を失った総統にできることはこれくらいしかないのであろう。
中国の臭い、中華の威光を少しでも抹消したい――この路線を押し進めていくと、台湾島内の道路の名前( 中華路、南京路など )も全部改称しなければならないし、最後は、故宮の宝物も本来の場所、北京にお返しするのが筋である。
そこまで決意を明らかにすれば、独立運動や国連加盟に真実味が加わるのではないか。