【中朝国境取材中のキム・ヘギョン。危険地帯での「安全な取材」は存在しない】
イラク戦争、北方四島・竹島そして北朝鮮――。
9・11同時多発テロ以降の日本にとってもっとも重要な問題において、マスメディアはその役割を充分に果たしているとはいえない。
報道の現場にいるフリーランスは誰しもそのことに気がついている。
また番組への政治介入の有無を争ったNHK・ETV裁判は、政治と闘えないマスメディアのあり方を鋭く告発してきた。
しかし、その問いかけを日本のマスメディアが真摯に受け止めているとはとうてい思えない。
公権力との関係において、批判的精神を喪失しつつあるメディアの現状は危機的ですらある。
そのような状況の中でフリーランスの存在はますます重要になってきたと思う。
「カネ」や「安定した生活」に換算できない「ジャーナリズムの価値」に賭けるフリーランスのスピリットこそ、この時代を生きるジャーナリストたちにとってもっとも必要とされるものだと信じている。
「危ないから行かない」という選択はない
稿の最後となったが、長井健司の死について私見を述べてみたい。
私の記憶では、長井はソ連軍のアフガン侵攻以降、戦争や紛争取材(病気や交通事故などは除く)で亡くなった4人目の日本人ジャーナリストである。
88年10月、アフガンで地雷を踏んで死亡した南条直子、そして04年5月、イラクで殺害された橋田信介と小川功太郎。
全員フリーランスである。
冒頭で書いたようにビデオカメラを持った取材者なら、必ずデモ隊と軍との衝突点で撮影を行う。
だから軍が発砲を始めたとき、長井が逃げるデモ隊の最後尾にいたことは不思議ではない。
「記録すること」が私たちの仕事であり、長井もギリギリまで現場に踏みとどまりたい、と思っていたに違いない。
また、多少の危険を冒してでも、テレビ局の取材班よりインパクトのある映像を撮らねば仕事にならない、という焦りもあったかもしれない。
長井の「誤算」は、ビルマの兵士たちが暴力を行使することをまったくためらわない、ということに気づくのが遅かったことだ。
ビルマ取材の経験がなかったため、軍に対する認識に甘さがあったのかもしれない。
ビルマの兵士たちはどのような非道な命令であれ、それを忠実に実行する。
長井はパレスチナでも、イスラエル軍との衝突などを取材しており、散発的な発砲なら大丈夫と判断したようだ。
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