【ボーミャ元議長が収められた棺を先頭で担ぐのは、息子のナダミャ(右端)】
ボーミャ元議長の死去の5日前、KNUの支配地域では、4カ所に分かれて「カレン新年祭」が催された。
なぜ別々に新年祭を行うのか。
ビルマ軍事政権との停戦交渉に臨んで分裂気味だったKNUの姿を如実に現している。
KNUは、停戦推進派・徹底抗戦派・中間派が、それぞれの「カレン新年」を祝った。
さらに、停戦推進派は2つに分かれる。
ボーミャ元議長に近く、長老格の第7旅団旅団長ティンマウン将軍派とドイツのNGO(非政府組織)の働きかけを受ける若手派である。
さらに、忘れてならないのは、1994年末にビルマ軍事政権の働きかけを受けてKNUから分裂したDKBA(民主カレン仏教徒軍)が勢力を拡大していることだ。
DKBAもまた独自に、KNUの支配地域の近くで、5000人近い人を集めて、盛大に「カレン新年」を祝った。
注目すべきなのは、DKBAの新年祭には今年初めて、ビルマ軍政の高官が参加したことである。
~続く~