準戦時態勢発布にともない、緊急に志願兵が募集された。 新兵を送迎する行事に住民が動員されている。平壌のキム・ウォンギュン音楽大学の建設に動員された人民軍部隊に、この時の新兵たちが補充されたことが、後の取材で明らかになった。 (2006年8月  撮影 リ・ジュン)
準戦時態勢発布にともない、緊急に志願兵が募集された。
新兵を送迎する行事に住民が動員されている。平壌のキム・ウォンギュン音楽大学の建設に動員された人民軍部隊に、この時の新兵たちが補充されたことが、後の取材で明らかになった。 (2006年8月  撮影 リ・ジュン)

はじめに
二〇〇六年七月五日早朝、東海(日本海)に向けてミサイルが立て続けに発射された後、北朝鮮国内には準戦時態勢が宣布され、動員令が発令された。
しかし、一日一日、市場に出てようやく生計を立てている庶民たちは、どうにもその命令に従ってばかりはいられなかった。

一方政府は、宣布したこの「準戦時」が、文字通りに動きだしてしまった場合、予測不可能な社会混乱が発生する可能性を警戒していたように思われる。
一九九三年三月に金正日を国防委員長に選出する一か月前にも、「準戦時」は物々しく宣布されたのだが、この時と比べると、二〇〇六年夏の「準戦時」に対して、一般民衆も各機関も質的に異なる反応を示した。

例えば、二〇〇六年は、祝日として慣例になっている七月三〇日の「男女平等権法令発布記念日」や、八月一五日の光復節を、「準戦時」宣布下であるにもかかわらず、ゆっくり休めるようにしていたし、さらに、新しく制定されたばかりの八月二五日の「先軍節」にいたっては、「準戦時」の雰囲気とはとても言えないような、お祝いの雰囲気作りまでが奨励されていた。
これは九三年のケースとはまことに対照的であったといえる。

続く一〇月九日、北朝鮮は核実験を突然強行した。
国内全域で、核保有を祝う決起集会が住民を多数動員して開催され、国威発揚をはかる意図から、米国の脅威のためにやむ無く核実験をした、核兵器保有国になった矜持を持て、これで長年目指してきた「強盛大国」になった、などの宣伝が繰り返しなされた。

しかし、住民たちの盛り上がりも関心も極めて低調であった。その理由は、一つに数か月前にミサイル発射をして「準戦時」を宣布したばかりで、住民たちの意識に飽きや慣れが生じたこと、核兵器のイメージが抽象的で、どんな武器なのか想像がつかなかったこと、苦しい暮らしが続く中で、核兵器や政治の問題なんかより生活が第一という意識が広がったためと思われる。

世界を震撼させたミサイル発射と核実験の強行のその時、国内では一般国民から幹部までが、どのような反応を示したのか、社会の雰囲気はどのようなものだったのか、北朝鮮国内の取材チームは、各地に飛んで取材した。(編集部)
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