「敗戦処理」
【陳政権が成果と誇示する「台湾高速鉄道」も技術は日本】
戦後処理が続いている。
戦犯と名指しされた民進党内閣の閣僚が次々に辞表を提出。
民進党は2000年に初めて政権をとったのだが、党史もそれまでに十年余りしかなく、人材不足が最大の問題といわれた。その実態をまざまざとみせつけられた八年間だったのかもしれない。
陳水扁政権になって、シンパの活動家・学者が次々に運転手つきの高級車に乗る身分になった。彼らは何の抱負やビジョンを持つ間もなく閣僚になり、台湾史に無為なる八年間を刻んだ。
李登輝の時代は、民主化と台湾化を叫んでいること自体が新鮮で進歩的だったが、陳水扁にバトンが引き継がれた時点で、そうした段階はすでに終焉していたのである。
彼らはなすこともなく、大日本帝国と中国国民党の残した財産を貪っていた、といえば、言い過ぎか。
一方、中国との経済的社会的一体化は急速に進行した。陳政権は、それをただ呆然と見守っているか、あるいは交流を阻害する役割しか果たしえなかった。この間の陳さんの成果といえば、残念ながら、国際空港、総統府、中正紀念堂の看板を架け替えたことくらいしか印象にないのである。
選挙から一週間、謝長廷総統候補は、この間に民進党を離れていった先輩たちを含め、各方面の関係者を表敬訪問するとともに、支持者の集会を開いて、あきらめていない姿勢を示してみせた。
一月末に発足する新内閣は、事実上国民党も納得する体制が必須条件であり、その名簿が取り沙汰されているところだが、謝長廷は任命権を持つ陳水扁に一定の建議をおこなったという。
こうした民進党の混乱を冷ややかに見ているのが、馬英九。国民党の圧勝に狂喜する様子は一切見せていない。ここで驕れば反発と不安を喚起するのは目に見えているからだ。
「勝ちすぎた」という危惧が彼らにはあるだろう。国民党独裁時代が再来する、このまま中国との一体化が急速に進むのでは、という不安が住民を覆っている。その不安に乗じて、国民党が割れて、民進党その他の勢力と新党を立ち上げれば、雪崩のように支持者が流れるという可能性もないではない。
以前にも書いたが、台湾の政局の焦点は、謝長廷でも馬英九でもなく、王金平立法院長にある。彼が党内の台湾出身者を率いて出て行く決断をどこでするか…。その場合、民進党は総統候補の交代を含めて英断が求められる。
選挙後、アフリカのマラウィ共和国との国交を断絶した。これで台湾と国交を維持しているのは世界23カ国に。この八年に九カ国が台湾を離れ、中国に走ったことになる。