いま特攻隊の記録を読み返している。
「特攻はイスラーム諸国で起きている『自爆テロ』の原型となった」と言う人がおり、ちょっと気になったからである。
特攻隊と「自爆テロ」の志願者とでは、その発意においてまったく違う、と思うのだが、避けえぬ「死」を決意した若者たちの心情はどうなのだろうか。
以前、学生向けのシンポジウムで、特攻隊について山田洋次監督がこんな発言をしていた。
ちょっと長いが引用してみよう。
「愛する人、国のために、にっこり笑って死んでいくのは、いかにもよく見える。しかし、事実を調べてみるとそうではない。怖くなってやめたら、銃殺される。最後には麻薬で興奮させられたり、半ば発狂状態になったり。明日死ななければいけない二十歳前後の若者がどんなに苦しく、混乱したか」(2006年10月28日付け朝日新聞より)
「フーテンの寅さん」で知られる山田監督は、人間魚雷回天を描いた映画「出口のない海」の脚本も書いており、特攻隊には関心を持ち続けていたのだという。
アジア太平洋戦争の末期、絶望的な状況の中で、命を散らしていった数千名の若者たちの酷い運命を思えば、誰しも胸が痛む。
山田監督の記事を読みながら、戦艦ミズーリ号のエピソードを思い出した。
ミズーリ号は降伏文書の署名が行われた戦艦だが、現在ハワイの真珠湾に係留されている。
以下、真珠湾を訪れたときに聞いた話である。
1945年4月11日午後2時43分、沖縄戦の最中、ミズーリ号の右舷へ一機の零戦が突っ込んできた。
突入寸前、パイロットはすでに絶命しており、船体に触れたのは左翼のみで、零戦本体は海中へ落下した。
このときの衝撃で、操縦席からパイロットの体が飛び出して、ミズーリ号の甲板へ放り出された。
遺体は銃撃で切断されており、上半身だけだったという。
~続く~ 沖縄戦の特攻兵(下)>>