シム:家を失くした人たちはどこで寝てるの?
オ同志:家がなくなった人には、ビニールシートと毛布が与えられて、駅構内で寝泊りしているそうです。
オ同志:家がそうなら、食べる物とか、着る物とかはどうするんだろう。本来、こういうときは国家がちゃんとやってくれないといけないんだが、あまりに貧乏だからなあ。
オ同志:国家がやらなきゃ。でも実際にやってくれると信じてたらなバカを見るのからなあ。

シム:被害地域には、国家支援があると公式な通知あったの?
オ同志:誰が通知するってんですか?何か出せというときは、ひっきりなしにやって来るくせに、こんな大事な時にはまったく姿も見せないんだから。
私のいる江東郡も、今度の台風で電線は切れるし、戦争が起こったようになったんです。通信網も全部切れてしまったけどそのままですよ。元に戻るのかな?テレビもだめ、スピーカーで報道さえ聞くことができないんですから。(有線放送がどの家にも引かれている)

シム:江東郡でそんな状態なら、山間の信陽、陽徳、檜倉はほとんど通信がだめだろうな。道路、鉄道が復旧して通信が回復するのはかなりむずかしそうだな。車も動けなさそうだ。
オ同志:江東郡に来るには、平壌に出て汽車に乗るんですが、陽徳を通過する汽車が、本来新成川(シンソンチョン)を通って行くはずなのに通れず、臨時列車を出したそうです。沙里院(サリウォン)の方へぐるっと回って行くようになったって。

シム:なら江東で列車に乗るにはどうするの?
オ同志:江東から出て平壌まで行って乗らないと。

シム:もともとそうだった?
オ同志:鉄道の順で言うと、平壌の周りは沙里院、平城(ピョンソン)、新成川、陽徳、コチャでしょう。コチャが一番高い場所なんです。

シム:うん、頂上だね。
オ同志:雨は陽徳から南に降りて来て、大水はそこより下流の新成川鉄橋の橋脚に当たって、鉄橋はあっさり倒れてしまったんです。空中には、繋がったままのレールだけが、ブラブラと垂れ下がっていたそうです。
だから汽車も通ることができない。平壌から平城、新成川をまたがって走っていた汽車が通行止めになって、沙里院を経て元山、咸興、清川にも行くそうです。

シム:江東には列車がどうやって通るんだ?
オ同志:「苦難の行軍」以降、江東から新成川までは、ほとんど列車は通ってないんです。江東から平壌までは距離が約120~130里かな?駅で言うと15駅ぐらいです。(1里は250m)

シム:そうしたら、平壌に出るにはどうするの?
オ同志:平壌に出るときは、道で車をヒッチハイクします。
続く
取材 シム・ウィチョン(沈義川)整理 崔真伊

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