我が国の経済動向 4
対外依存型経済の破産
石丸:経済破綻を招いた(政治的)契機が「13次」のような非生産的大型浪費にあったと言うなら、破綻の経済的原因は何だと見るか。
ケ・ミョンビン:我々の経済破綻の(政治的)契機が「13次」として、その破綻の背景には何があるか。
「自立的民族経済」と「帝国主義による孤立圧殺策動にもぶれることなく堪え抜く主体型の経済」というのが、我が国が内外に徹底して宣伝してきた経済システムだ。だが、見る人が見ればその実態は、「国際社会主義市場」にぶら下がってきたもので、(自立どころか)対外依存型経済に過ぎなかった。これは「苦難の行軍」の正当性を説明する党の解説講義でも認めているところだ。
社会主義陣営というものは、1970年代までなんとか維持されて来た。東欧社会主義の国々はワルシャワ軍事条約、コメコンなどで一つの社会主義陣営による経済、政治、軍事的ブロックを形成していた。
朝鮮戦争によって朝鮮がソ中二つの大国の間に挟まれるようになると、金日成主席は政治外交的手腕を発揮して、そのブロックに朝鮮が加わらないですむように画策した。朝鮮を蚊帳の外において発生した中ソ間の対立と矛盾をうまく利用して、双方から対朝鮮援助をうまく引き出した。
まさにその当時は、朝鮮には経済的ポテンシャル(潜在力)があったし、金日成主席の「偉大性」もあったのだ。現在朝鮮に残っている発電設備や工作機械設備などの生産施設の多くは、この時期に社会主義陣営から援助されものなのである(残りは日帝時代の施設か、70年代に資本主義市場で購入したプラントだ)。
それらの施設はいまだに「現役」である。
中国とソ連から原油とコークス、大豆、小麦粉、砂糖、綿花、羊毛、原木、農薬、医薬原料、ゴム、プラスチック、合金材料、岩塩など、資源と戦略物資を輸入して経済を維持して来た。
80年代に入り、社会主義陣営の国々の改革開放が加速し始めると、後継者擁立でそれに歩調を合わせることができなかった朝鮮の経済は、深刻な打撃を受け始めた。
中ソとの交流も突然途切れがちになった。交通運輸、電力など、物質生産のためのすべての基幹部門が、社会主義システムにあまりにも依存していたため、完全配給制度に縛られていた人民の暮らしは、(世界の改革開放の流れ)による打撃に対処する術ががなかった。
完全配給制(商品が原理的に消滅した100%計画経済)ほど完全な独裁社会はない。さらに政治的にも完全独裁社会を打ち立てていた朝鮮の特殊な社会は、この時から「自活能力ゼロ」という有様が露になり始めた。
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