APN_080324_tamamoto_001.jpg【写真左:2006年、市民の不満から襲撃されたハラブジャ・モニュメントが再建されていた(2008年3月16日撮影・玉本英子)】

玉本英子 現場日誌

◆ハラブジャ事件から20年 盛大な記念式典の裏で
3月16日ハラブジャ事件20周年の追悼式典があった。1988年、クルド人の小さな町ハラブジャにイラク軍が毒ガス攻撃をおこない、5000人以上が死亡した事件を、クルド人は「イラクのヒロシマ」と呼んできた。人びとはいまも毒ガスによる後遺症に苦しんでいる。

地元の大ホールで行なわれた式典には約1000人が参加した。ハラブジャ被害者家族をはじめ、タラバニ大統領の妻、クルド愛国同盟(PUK)幹部、ハラブジャ化学兵器被害者協会メンバー、トルコからディヤルバクル市長オスマン・バイデミル氏、日本からはNGO代表、西谷文和さんがスピーチをし、ハラブジャ事件のの犠牲者を追悼した。欧米や日本からも記者たちが取材に訪れた。

当日、クルディスタン地域政府アンファール省は、ハラブジャ被害者の17家族にストーブやカーペットなどの生活用品を配り、被害者の家族の学生10人に奨学金として1人600ドルを渡した。
2年前のこの日の追悼式典は市民の暴動に変わり、追悼モニュメントは放火され、破壊された。治安当局の発砲で1名が死亡し、多数の逮捕者をだす事態となった。いっこうに進まない町の復興の現状に、市民の不満が爆発したのだ。
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