その5人は、消防用のホースから強烈な水をかけられてよろけながらも、みんな笑顔で声を上げている。楽しそうだ。
でもね、と知り合いのビルマ人は言う。
「マンダ(水かけの舞台)に上がって、水をかけるホースを手にするのにいくらかかると思う? 2万チャット(約2万円)から6万チャット、いやそれ以上かな。月給が1~2万チャットくらいの庶民にそんなことができると思う? 舞台には金持ちしか上がれないよ。経済的に余裕のない若者は、水をかけられながら舞台の下で踊るか、あるいは、遠目に他人の新年の喜びである水掛けを見ているだけだよ。他人の幸福を眺めているだけなんだよ」
【マンダレーの裏通り。一壺50K(約50円)の水で洗濯・水浴をする人びと】
派手な水かけ祭りは観光客にも周知のこと。
でも、水祭りの終わった翌日の新年こそがビルマのお正月と思える。
前日、激しく水を掛け合ったお堀の傍を歩くと、昨日のお祭り騒ぎが嘘のように静まりかえっている。
町をぶらついてみると、街角で僧侶を迎えて、新年の集いが行われているを目にする。
半時間歩くだけで3つの集りを目にした。
ビルマのお正月は水かけ祭りだと思っていたが、実はこちらが本番だった。
軍事政権国家ビルマというにあって、世界のどこでも見られる、地域の集い・家族のふれあい・若者たちのはじけるエネルギーを目の当たりにすることで、なにやら得体の知れないモヤモヤ感が自分の中に生まれてきた。
つまり、外部の取材者として、軍事政権の悪事だけを言い立てるのは、ひょっとしたら、案外楽なことかも知れない。
そうすることによって、軍事政権下で生活する人びとの暮らしや意識の変化をずいぶんと見過ごしにしているのかも知れない。
軍事政権の下の不条理を取材・記録することは自分の仕事の一部で、最優先事項だ。
でも、それだけで現状は変わらないはず。
だが、そのことに拘泥することによって、いつでも自分の仕事は確保できるという居心地の悪さ。
口ではビルマの変化を求めながらも、自分自身も軍事政権と同じように現状維持を望んでいるかも知れない(そうは思いたくないが)。
~終わり~
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