列車の待機客などを個人宅に宿泊させる'民宿'売春、韓国ドラマなど禁止された娯楽、麻薬、闇金融、闇両替、そして汚職や、斡旋取引などだった。国家はこれを止めることができず、社会治安は無秩序と混乱に陥った。
国営企業の生産資材もすべてジャンマダンに流れ、そうすると、企業は生産資材購入をジャンマダンでするしかなくなった。もう、ジャンマダンの流れを止めることはできなくなった。
通貨や輸送はどうだったのか。金庫が空っぽの銀行は門を閉めても、人々はジャンマダンで、どれほど休む間もなく金を使ったことか。
私ははっきりと覚えているが、使い込まれた1ウォン札が細切れの紙切れを張り合わせて継いだようになっていた。ここまでボロボロになるまで、人民は金を捨てることなく使い続けたのだ。
ジャンマダンでは天秤はかりが大流行した。
国家による検査体制の外にあるジャンマダンであっても、もはやでたらめは通用しなかった。全国どのジャンマダンでも、買い手であろうが売り手であろうが、皆、自分の天秤はかりを同じように携帯している姿を見ることができた。
物品を売り買いするときに、量を確認するために互いにはかりを使うのだった。
国営の商業はただ物理的に計量するだけであるが、ジャンマダンでは「サービ」(サービスを北朝鮮では近年こう発音する)が付いてくる。
ジャンマダンでの運送では、使われない車両はないほどだ。
「金の音がすればお腹の中の赤ん坊まで手を差し出す」と言われている。
金の力によって、とうとうジャンマダンは、でたらめな国営鉄道網を補って余りある、全国自動車交通網を作り上げてしまった。一種の交通ジャンマダンである、この自動車交通網には、今や権力者たちが直接参加している。
人々がかつて経験した90年代の破壊的大混乱は、取り返しの付かない殺人的な結末に至った。
だが今になって振り返ると、その過程で、人民は熾烈な生存競争を不可避的に強要されたのであり、結果、もう座して飢え死にするようなことはしまい、という「鉄の商売法」を学んだのだ。
商売こそが、自立して新しい生を生き抜く方法だったと、涙とともに思ったのである。
(つづく)
注 ジャンマダン
本来の朝鮮語は「商い広場」ほどの意。日本語では「市」のニュアンスが近いか。北朝鮮では、農民が家の周りの空き地を利用して作った野菜や卵など、自家消費用+α程度のものを売る「農民市場」が許容されてきたが、経済破綻、配給制の麻痺に伴って少しずつ参加する人の数も、品目も徐々に拡大していき、「ジャンマダン」に成長した。何の制度も法律もない自然発生的、原始的なこのジャンマダン経済は、勝手に拡大して地域が連結されて流通網ができ、ついに90年代には、北朝鮮全土がひとつに繋がった。
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