目覚めはじめたロマの意識
これまでトルコではロマの人びとが集まって、人権や言語問題に積極的に取り組むということはほとんどなかった。
トルコ社会の底辺でしたたかに生きてきたかれらは、日々の生活に精一杯で、自分のアイデンティティについて考える余裕もなかったし、そうした運動も存在しなかった。
中学・高校で使う学生用辞書のページにはロマについて、「チンゲネ=恥知らず、不道徳者」とかいてあった。
「辞書に書かれている差別箇所を削除してほしい」
元国鉄職員でロマのムスタファ・アクスさん(70才)はロマへ向けられた差別意識の撤廃を訴えている。
45年間勤務した職場では、自分がロマだということを隠し続けていた。96年に定年退職してから、行動を始める決意ができたという。クルド問題など国内の民族、言語の問題に敏感なトルコで、ロマの人権を訴えることは、ある意味命がけの第一歩だった。
ムスタファさんは言う。
「貧しいロマは差別や偏見を自分の運命として受け入れ、社会で成功したいと望む者は出自を隠す。私もその一人でした。でも声を上げずにはいられなくなった」
ロマ自身が立ち上がった初めてのケースということもあり、トルコのメディアも取り上げはじめた。テレビの討論番組にも出演。番組放映後、ムスタファさんの家には「よくやってくれた」という激励の電話が殺到した。「うちの村で講演を」と依頼するロマの青年もあらわれた。
その後、トルコの教育機関は、辞書にあるロマの差別的な記述の訂正を検討すると発表した。EU加盟を意識するトルコ政府は、いまのところムスタファさんの活動を静観している。
「国境向こうのヨーロッパには、ロマの新聞やテレビ局まである。私たちは、これからなのです」
ムスタファさんは、窓の外を見つめながら自分に言い聞かせるように言った。(了)
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(初出 2001年)
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(トルコ・エディルネ発)