午前10時1分頃、船底部の右舷にある軸室(エンジンの動力を伝えるシャフトの通っている部屋)で、ロープで首を吊っていたのを発見された。まだ体温はあるものの脈拍はすでになく、心肺停止状態だった。心肺蘇生処置を受けたが助からず、午後1時14分、死亡が確認された。

最後に献血をした日からちょうど2ヵ月後、身の内を巡り続けてきた血液の循環はそこで途絶えてしまった。その日は、彼の21歳の誕生日だった。
我が子の突然の自死を、佳子は「さわぎり」の副長から自宅にかかってきた電話で知らされた。体中の血が逆流するようになり、気が遠くなった。信じられぬ思いのまま、夫の洋二(仮名/71歳)が運転する車で長崎県佐世保市に向かった。

「さわぎり」の所属は海上自衛隊佐世保基地で、翌11月9日の早朝に帰港するとの連絡があったからだ。息子は同い年の妻とまだ1歳の長男とともに、佐世保にある自衛隊官舎で暮らしていた。夜、官舎に着くと、部屋には息子の妻とその両親ら親族が集まっていた。
明くる朝7時半、遺族の一行は海上自衛隊佐世保地方総監部を訪ねたが、そこで2時間ほどど待たされる。「さわぎり」はすでに着岸していたが、遺族との対面よりも先に自衛隊警務隊による検死作業がおこなわれていた。

そのことを知らされぬまま焦慮の時を強いられ、ようやく乗艦できたとき、我が子の名を呼ぶ叫びが佳子の口を衝いて出た。遺体は医務室で、金属製の箱の中に制服姿で横たえられていた。線香も供えられていなかった。
「私は、子どもがかわいそうで、かわいそうで、狂いそうでした」
佳子は冷たくなった息子の体をかきいだいて泣いた。  ~つづく~
(文中敬称略)

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