それから佳子は、「人的資源」という言葉が気になって調べたら、それが国家総動員法のなかに出てくるのを知った。確かに国家総動員法(1938年制定)の第1条には、
「本法ニ於テ国家総動員トハ戦時(戦争ニ準ズベキ事変ノ場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ」とある。
ここでは人間は、人格も意思も認められず「統制運用」される対象として物資と一緒くたに扱われている。「人的資源」の発想は、かつて国民を戦争に駆り立てたあの国家総動員法とつながりがあるのではないか。
安倍晋三元首相も2007年5月22日の参議院外交防衛委員会で、「人的資源」という言葉を使っている。米軍再編に伴う、沖縄県名護市辺野古沖での在日米軍の新基地建設計画の現地調査に、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が出動し、自衛隊員が潜水調査に参加した問題についての答弁である。
「現地調査の実施は、主として民間業者によるほか、限られた期間内で作業を安全かつこれは円滑に実施をしていく必要がありました。その観点から、海上自衛隊が持っている潜水能力等を活用して協力を行なったものであります。言わば国の資源を有効活用したということで御理解をいただきたいと思うわけでございます。そういう能力を持っている言わば人的資源があるわけでございますから、それを活用したと、こういうことでございまして......」
「人的資源」。いったいこの言葉は、いつから、どのようにして使われるようになったのだろうか。心に痛手を負ったひとりの母親の思いを導きの灯として、ひとまず歴史の坑道を辿ってみたい。 ~つづく~
(文中敬称略)
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