マンダレー管区の囚人たち(下)
※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署 名を「宇田有三」に統一します。
【Nay Tin Mynt (40)さんは政治犯として2回捕まり、計15年間獄中で過ごした。1回目の収容は3年間ですんだが、2回目の収容は12年に及び、そのうち10年間を光の差し込まない独房生活ですごした。懲罰と称して最初の約1年間は足枷をつけられ、さらに身動きできないように両足の枷の間に鉄棒を差し込まれていたという。
この間、家族の訪問は3~4ヶ月に一度、風呂にも2~4ヶ月に一度という生活が続いた。身体的に厳しだけでなく、精神的にきつかった日々を、瞑想をすることで耐え。「今死んだら負けだ」という気力で生き抜いた。2005年7月解放されたが、その後も当局の圧力が続き、今はタイ国境の町に逃れ、緊急の電話連絡先と共に国連機関の事務所の近くに隠れ住んでいる。
彼の存在は、反政府活動家の一員として国営紙でも指弾されている。タイ側であっても国境の町には軍事政権のスパイも多く、強制的にビルマ側に連れ去れる恐れがあるかも知れないと毎日恐れを感じるという。顔写真を出すことで逆にビルマ政府の行動を抑えることができればいいと話す。写真は、国境の某所にて、国連民主連盟の旗の傍に立って撮影】
朝7時過ぎ目が覚める。
やっぱり行こう。
そう決めた。
写真を撮るためにビルマに入ったのだから、現場に立っただけのありふれた写真を撮るのではなく、ここで何が行われているのか記録し報告するのも大事な仕事なのだ。
顔見知りになった船着き場の人と値段交渉をし、1日8000K(約800円)でバイクを借り出す。
目指すはあの場所、昨日、囚人が働いていた場所だ。
今日も青い空が広がる。
丘の手前まで機嫌良くバイクを飛ばした。
さ、ここからだ。
下りに入って左カーブが現れる。
あ、やはり昨日と同じ場所に囚人たちはいた。
とりあえず彼らが働いている場所を数十メートルやり過ごして、バイクを止める。
カバンの中のカメラがすぐにシャッターが切れる状態にし、ふぅーと大きく深呼吸をし、引き返す。
囚人たちの働いているすぐ横に燃料小屋があった。
小屋の手前でバイクを止め、そこにいる人に話しかけた。
「喉が渇いたんですが、この辺りで飲み水を売っている所を知りませんか」
「この辺りにはないねぇ」
バイクに給油をしていた男性が返答してくれた。
外国人が現れたのが珍しいのか、工事をしていた囚人たちが一斉にこっちを見る。
私も、彼らの方を見る。
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