2006年8月15日、光復節の清津市輪城川の河原には、数万の人が出てバーべキューをしたり、歌を歌ったりして休日を楽しんでいた。東海にミサイル発射して、準戦時態勢が発布された直後の光景だ。(撮影リ・ジュン)
2006年8月15日、光復節の清津市輪城川の河原には、数万の人が出てバーべキューをしたり、歌を歌ったりして休日を楽しんでいた。東海にミサイル発射して、準戦時態勢が発布された直後の光景だ。(撮影リ・ジュン)

 

[解説]ミサイル発射の夏、北朝鮮国内は 3  リュウ・ギョンウォン
住民たちの反応の曖昧さ
今回のミサイル発射によって現れた住民たちの意識を見ると、人々は「先軍」とか「銃隊重視(軍隊重視)」のような、うんざりするようなスローガンにいちいち反応せず、批判めいたことも言わないということが分かった。

しかし、嫌気が差しながらも、文句をあまり言わない優柔不断な態度について、「『自分の家を守るためには、世帯主が拳を使わねばならないように、自分の国を守るためには、軍事力が強くなければならない』などという虚しい言い訳を使って、人々は今回もへきへきしながらも、『しかたがない』と自ら慰めている」という(記者ペク・ヒャン報告)。

「先軍政府」(先軍政治(注1)をスローガンに掲げる現金正日政権の意)は、国際社会の経済制裁によって生ずるであろう混乱と人々のいらだち、そこから発生する不満の視線を国外に向けさせるためには、軍事的緊張が効果的であることを知っていた。
それで、ミサイル・核などの軍事力強化が、結局大衆から支持されるだろうと言う打算があったと思われる。
結局、苦しい人民生活に対する対策は、口先の約束だけで十分だったのだ。

政府が繰り返す「先軍政治」の正当性と、核・ミサイル開発に対する大衆のNOをはっきり言わない態度は、互いに漠然と絡み合っているのである。腐敗した権力は、こうして不正な利益を手放さないで済んでいるのだ。
一方、外から見ると先軍思想を支持しているような人々も、日常の具体的生活の中では、誰もが全く違った姿勢を見せた。
「『準戦時訓練に動員される者たちへの支援物資が要るからと言って、あれこれ供出させられるのはまっぴらだ』という反発が、一般住民たちの中で、すごく露骨になされていた」(記者ペク・ヒャン報告)。
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