人っ子一人死なない核実験
二〇〇六年一〇月、記者リ・ジュン(李準)は、朝鮮の中部地域に住むさまざまな階層の人々に、一〇・九核実験について考えを聞くため食堂に集まってもらった。
この席には三〇代後半の男性で、ある行政機関の書記長、四〇代の男性で、ある機関の指導員、三〇代前半の骨董品商人が参加した。
リ・ジュン:核実験が成功したんで、これで祖国統一は問題なくできるんじゃないのか? 講習でも「亡くなった金日成首領様がどれほどお喜びになるだろうか」なんて言っていた。
書記長:何日か前の話だ。ある年寄りが、配給を受取るために一日中並んでいたんだが、自分の番の前で配給米がなくなってしまったんだ。
あまりにも癪に障ったもんだから、無意識に、つい「くそ、戦争でもドンと起こればいいのに」と言ってしまったんだと。このじいさんは反動かな、どうかね?
骨董商:なんで? 我々には今や核もあるのに、なぜ戦争を恐れる必要がある? 戦争すれば我々が勝つはずだぜ。我々にひもじい思いをさせてきたのは、米国の奴らじゃないか。米国の奴らは宿敵なんだから、そのじいさんはまともな戦争観を持っている人だ。
書記長:なあ、内々に言われているのはその反対だ。今そんな過激な言動をするとあぶないぞ。言葉には注意しないと。昨今、ノリでしゃべるとやばい。
リ:複雑だな。
書記長:正直言って、その老人の言う「戦争」なんてのは、国家の配給所をぎゃふんと言わせたいという感情の表現じゃないか。
こんな風に、自分の中の不満を、党の従来の公式戦争観に便乗して、うまい具合に表現する習慣が、最近人々の間で当たり前になっている。だから、核実験の成功を祝おうというような、最近の「色つき」発言が、かえって強く警戒されるのだ。
その老人も、配給所にいた人々の目線が皆自分に全部向うと、慌てて「戦争してこそ南朝鮮を飲み込める。そうすれば米も手に入るだろ」と、ぶつぶつ言ってたそうだ。
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