実際、将軍様の心配ごとを減らし、それによって方針を頂くということは、朝鮮の社会では評価が高まるということだ。だから、他人ができないことである機械の導入を、父は出世のために多少無理してでもやり遂げようとしたのかもしれない。
結局、党に対する忠誠心を発揮し、将軍様に喜んでいただこうとした局長の仕事ぶりは、「絶対無理だ」と言い張って、それを妨害しようとした他の幹部たちには、個人的な出世欲と映ったのだろう。このまま放っておけば、自分たちだけが無能な悪者になってしまう。だから、先手を打つしかなかったに違いない。
朝鮮には「熱意がもめごとの種」という言葉がある。結局、父は熱意が余って党秘書とその側近たちのねたみを買ってしまったのだ。
こうして党秘書は、ひそかに社会安全部にいる自分の側近たちに手をまわした。
(横領などの)経済的な罪がない行政幹部を安全部で処理するためには、何かネタが必要だった。この部分は、党秘書が背後で動いてでっち上げを行った。
なぜ党秘書にそんなことができるのか?
朝鮮ではあらゆることの基本が党生活、政治生活である。事務室で何もせずにただ座って党の仕事だけをしている党職員と違って、仕事で四方を飛びまわらなければならない行政員は、党員であってもなかなかきちんと党の行事に参加することは難しく、毎週一回の党生活総和(注1)に欠かさず参加することは不可能である。
たとえば、江東から汽車に乗って三縲恷l日もかかる恵山(ヘサン)に出張に行き、その週の党生活総和に参加するために江東に駆け戻るなど無理な話である。その結果、党組織の規律に基づいて生活をしなかったという弱点を握られたのだった。
父は、国内にいる時にも、ひと月のうち二〇日は新義州(シニジュ)へ、恵山へ、そしてまた軍需工場へと、しょっちゅう出張に出ていて、家にはほとんどいなかった。そうやって頑張って仕事してきたのである。それなのに、苦労がすべて無駄になってしまった。
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