対外経済協力推進委員長の金正宇(キム・ジョンウ)は、羅津(ラジン)・先鋒(ソンボン)経済特区の責任者であったが、1999年に動静が不明になった。革命化されたのではないかと言われている。写真は1996年、北京の経済投資説明会でスピーチする金正宇。(石丸次郎撮影)
対外経済協力推進委員長の金正宇(キム・ジョンウ)は、羅津(ラジン)・先鋒(ソンボン)経済特区の責任者であったが、1999年に動静が不明になった。革命化されたのではないかと言われている。写真は1996年、北京の経済投資説明会でスピーチする金正宇。(石丸次郎撮影)

 

北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 4
革命化をまず失くさねばならない
安全部での予審期間中に、父が契約していた機械が首尾よく輸入されて来たという。党秘書が国家レベルで解決しようとしない限り絶対に無理だと言い、「出世欲」に父が目をくらませたあの機械が!
しかし、この、国家にとってどうしても手に入れたかった貴重な設備の輸入を実現させた功労者は、党秘書に睨まれ、「党の領導を拒否した」という「罪」を被って革命化対象とされて、「管理所」送りになっていたのである。

六年後の二〇〇〇年、全党あげての「慰労事業」(注1)が繰り広げられ、今度は私たち家族を陥れた者たちが、「龍城(リョンソン)事件」(注2)に関わった疑いで「革命化」対象となった。

他人を傷つければ自分はそれ以上に痛い目に遭うものだ。善良な者に対してあんな悪事を働くから、結局は自分でその代価を払うことになったのだと思う。
結局、私たちの仇敵は自滅し、結果的に父と私たち家族の罪は晴らされた。
だが、被害の当事者である私たちが、自ら事件の真相を明らかにすることによって、「管理所」から「解除」されるために働きかけることなど不可能だった。

皮肉にも、人生を狂わせる道具である革命化制度によって、私たち家族は逆に「解除」されたわけだが、上部では私たちに「党の配慮、将軍様の配慮」に感謝しろと言うのだ。
つまり、「管理所」の存在そのものが、将軍様と党の手の内にあるという現実を、無意識のうちに口にしているのと同じことだった。「管理所」からの「解除」が「党の配慮、将軍様の配慮」だと言うならば、私たち家族の管理所行きは、「将軍様や党の意図」だったということになるではないか。

結局、将軍様や党は、自分たちの利害に合わない誰かを絶えず革命化対象として「管理所」に送り込んでいるようなものだ。
こんな理不尽な目に遭って、誰が「将軍様と党の配慮」に感謝するというのか。「病気をうつしておいて薬を与える」という言葉そのものである。
考えてみれば、先軍時代の現代に「われわれ式社会主義」の朝鮮に住む私たち家族が経験したことは、はるか昔、封建社会にあったとかいう、両班(リャンバン)による島流しとそっくりではないかと思う。

革命化と「管理所」とは何なのか? 無実の人間の人生を狂わせる、その正体はいったい何なのか? 私の答えはこうだ。
われわれの社会で、ある人が国家の金を横領したとか、仕事の失敗で損害を出したとかいうことがあれば、法的な手段に則って処罰を受ける。
裁判で「被告は国家にいくらの被害を与えたので教化何年(懲役刑に当たる)」という判決が出れば、それによって被告は教化所(刑務所にあたる)に行かなければならない。
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