そのため、管理所で私が一番好きな食べ物はどろどろのトウモロコシ粥だった。
それでも家があることは有難い。家に帰れば母が作ってくれた食事を食べられる。
食べ終わると眠気に襲われて、その場で倒れこむように眠る。
時には、飯を食べながら、サジを持ったまま寝てしまい、バタンと音を立てて倒れたものだ。めちゃくちゃに疲れた時、食事というのは眠り薬のようなものである。それまでちっとも眠くなかったのに、飯を食べ始めたとたん眠くなる。そしてバタリと倒れこむ。
あまりにも疲れていると、真夏の蒸すように暑い時でも、やけどしそうに熱いオンドルの床の上で横になるとすぐに汗ぐっしょりになって眠ってしまう。常に不満がうずまき、心の中は煮えたぎっていても、眠りだけはちゃんと訪れる。
鳳昌は炭鉱地帯であり、自分たちで石炭を掘るため、各家庭とも燃料に不自由することはなかった。冬でも家々の部屋の床はぽかぽかだった。
そこで死んだように眠り、目が覚めると、また仕事に行く。仕事から帰ってきて食事をし、ちょっと寝ると、また仕事に出る時間がくる。
飯を食い、眠り、仕事に行くことだけが生活のすべてだった。文化や娯楽を楽しむことなど思いもよらない。
そうして暮らした十数年の間、仕事以外に熱心になれるものがなかった。その頃の私にとって、採炭計画を遂行することが唯一の楽しみになったのだ。
母はこう言った。
「石炭を掘るのがお国のためだと思って、一生懸命働きなさい。あなたたちが一生懸命働くことが、父さんの罪も私たちの罪も晴れて、早く社会に戻れる近道なのよ」
こう言われたこともあり、本当に私は炭鉱でよく働いた。
石炭を掘る仕事は楽ではなかった。八時間働いても採炭計画量に達しなければ石炭拾いをしなければならなかった。
人々が眠っている夜中に目を覚まして働き、夜番を終える頃になると、朝出勤してきた炭鉱幹部たちは、計画遂行率はどれだけかと質問する。そして、こう言う。
「計画に達してないから、今から石炭拾いをしろ!」
バケツを持ってトロッコのレール沿いに落ちている石炭をかき集め、二トンのトロッコ一つをいっぱいにしろというのだ。
一晩中トンネルの中で働いたのに、石炭を拾い集める元気なんてあるわけがない。しかも既にさんざん拾い集めてあるので、地面が白く見えるほどなのに、一体どこから石炭を見つけ集めて来いと言うのか。
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