90年代大飢饉の最中、商売のための移動の途中で休む人々 1998年10月 咸鏡南道高原郡 アン・チョル撮影
90年代大飢饉の最中、商売のための移動の途中で休む人々
1998年10月 咸鏡南道高原郡 アン・チョル撮影

 

リムジンガンの北朝鮮内部のジャーナリストから新しい報告が届いた。大変残念なことにごく一部の地域ではあるが、老人など社会的弱者に死者が出始めているという。しかし、食糧難の様相は、90年代の大飢饉とは大きく異なっているようだ。北朝鮮内部からの最新報告をお伝えする。
(整理 石丸次郎)

今回の情報は、北朝鮮内部に居住するジャーナリストたちが、5月7日以降に電話報告を寄せるとともに、1人は中国に越境して伝えてきたものである。
北朝鮮北東部の清津市などの咸鏡北道地域、平安北道地域からの複数の電話報告によると、
今春の食糧難を予測してのことか、2月半ばには、中央から全国に、様々な形の食糧問題に関する指示文書が下達されて来たという。
内容は

・7月まで食糧配給はないものと考え、各機関・企業所は自力で調達すること
・地域機関はジャガイモを大々的に植えること、などだったという(指示文書については、現在入手を模索中)。
実際、ジャガイモの植え付け面積に関する指示が出され、種イモ確保に行政機関が動いていたという。

また、住民たちは自衛策として、90年代のように、食べられる野草を採ったり食事の回数や質を落とすということが珍しくなくなっているという。
北朝鮮の場合、ジャガイモの収穫は7月、トウモロコシは8月から9月頭に収穫される。
もっとも収穫が早く栽培の容易なジャガイモを、2月の段階から植え付けさせていたということは、早くから今春の食糧不足を予見していたということである。

であれば、もっと早い段階で、例年のように韓国に食糧・肥料支援要請をしていたならば、4月以降の食糧事情の悪化は未然に防げていたはずだ。
開城工団からの韓国政府職員の追放、短距離ミサイルの黄海への発射や、李明博大統領を労働新聞で「逆徒」に呼ばわりし、南北対話と接触を中断するなど、韓国新政権にいちゃもんをつけて絡み始めるのは3月末のことだったから、すでに遅くとも2月段階で対南関係を冷却させる「方針」があったと思われる。いいかえると、政治を優先させて食糧難を招来させてしまったということだ。
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