平壌市江東郡で餓死者発生の情報
今回の北朝鮮の食糧難の特徴は、「市場のパニック」である。
90年代後半の、いわゆる「苦難の行軍」期に、200万~300万人の餓死者が出たのは(石丸推定)、経済破綻に加えて金日成の突然死に端を発した社会恐慌が、食糧配給制度を崩壊させたために起こった。
現在の北朝鮮の経済は90年代とは違い、市場経済が拡大普遍化しており、国民の大半は配給に依存せず市場で食糧を調達している。
4月に入って以降の食糧価格の急騰は異常であり、国際価格の上昇や昨年の水害など、外部要因だけでは説明できない様相を呈している。
詳細な分析は後日行うが、今回の食糧難の主な原因は、「市場パニック」を引き起こした内部の混乱にある見るべきではないだろうか。
平壌市を4月後半から取材してきたリムジンガン記者シム・ウィチョンの報告を整理する。
4月15日の故金日成主席の生誕日には、学生や子供たちに菓子や学用品などの無償の贈り物が、かつて配給されてきた。
90年代の大混乱期にそのような「習慣」はほぼ消滅してしまったのであるが、平壌市だけは、ここ数年細々だが贈り物が復活していた。
それが今年は、穀物価格の高騰で菓子生産が計画通りに進まず、4.15当日の配給ができなかったという。
平壌市の郊外の江東郡にある軍需工場地域の住民の中で、老人に飢え死にする者が出始めたという。以下は現地を訪れたシムによる報告である。
江東郡にはいくつも軍需工場があるが、従業員1万人前後の比較的大規模な工場が多い。軍需工場は国家による優待を様々受けており、資材やエネルギーは優先的に供給されるし、かつての「社会主義」のやり方のまま、従業員の賃金支給や食糧配給も、概ね維持されてきた。
一方で、従業員が商行為に走ることは統制され、工場に出勤することが厳しく強要さる。いわば、軍需工場は「市場との距離が遠い」ため、飢えることはないが生活レベルは低い職場だといえる。
この地域の軍需工場への食糧供給が2月末から途切れはじめ、3月からは粥をすする有様の世帯が増え、4月末になると、栄養失調になった老人の中に死者が出始めたという。
「◆◆さんの家のじいさんが死んだ」「XXさんの所で年寄りが死んだ」という具体的な証言をたくさん聞いた、とシムは言う。
市場に行けば高価だし闇取引であるが、米もトウモロコシも売られている。現金収入を得るために商売を副業的にやれれば、食糧にアクセスできるのだが、このような困難な中でも、統制の厳しい軍需工場では、市場に出ることが簡単には許されず、疲弊した世帯では、老人たちが弱っていき、死人まで発生する事態に至ったという。
つづく
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