北朝鮮内部記者から新しい食糧価格動向が届いた。5月に入って下降気味だった食糧価格は、10日頃から数日間再び急騰し、中旬以降下落している。その確かな理由は不明だが、この乱高下ぶりは異常である。また、地域差が大きいのも特徴だ。(整理 石丸次郎)
まず、5月9日付の「北朝鮮食糧危機の実態を探る (2)」について、次のような疑問が寄せられたので、説明しておきたい。
1、北朝鮮でもっとも優待される平壌市で(江東郡)で餓死者発生とはにわかに信じ難い。
2、同様に、軍需工場という、先軍政治の北朝鮮社会で優遇されている工場で餓死者発生とうことも理解し難い。
江東郡は、行政区域としては平壌市に属すのだが、中心区域から北東に30-40キロ離れた郊外地区であり、保衛部の検問所である「10号哨所」の外側に位置する。
つまり、平壌中心区域に江東郡から行くためには、通行証が必要であり、平壌市としての特別扱いのない地域である。
江東郡は軍需工場の密集地域で、脱北者証言などによると、その数は200近くになると言われている。
軍需産業と言っても、ミサイルやロケット砲から、小銃、軍服、軍靴に至るまで、品目は幅広い。
江東郡にある軍需工場では、高射銃製造工場と自動小銃(AK47)製造工場が、従業員が一万人を超えるほど大規模だという。
工場名は、機密保持のためか番号を付けることが多いという。
軍需産業は全産業の中でも、国家の重要度が高いのは確かである。そのため、資材やエネルギーは他の産業に比べて優先的に供給され、従業員に対しては、食糧配給をできるだけ維持する一方、出勤統制が厳しく、商行為への参加が不利である。
また、大規模工場では、従業員と家族対象の国営商店が運営されており、市場とは制度的にも物理的にも距離が遠い。つまり、従業員と家族は、配給への依存度が他産業に比べて高いわけだ。
そのため、配給制度がマヒした90年代飢饉の折には、全国の軍需工場で大量の餓死者を出しているのである。
90年代大飢饉=「苦難の行軍」期を経て、北朝鮮社会の経済構造は大きく変化した。配給に依存していた国民は、大量餓死の現実から、行動することを学び、職場を離れ商行為に走った。
飢饉による混乱が去っても、国営の工場群の生産は回復せず多くが半閉鎖状態のままである。
そんな企業所に籍を置いている労働者たちは、配給も給料も出ないため、
企業所に金を上納して暇をもらい、市場で商売に精を出して生活している。
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