そして三年葬が終わる一九九七年九月、平壌で前中央党農業担当秘書徐寛煕(ソ・グワンヒ)に対する群衆公開銃殺を執行した。前代未聞の食糧配給途絶の総責任を、農業秘書である彼に負わせたのだった。これは「米帝に雇用されたスパイ」の罪を着せて殺す常套的な政治欺瞞劇であった。
配給途絶でパニック状態に陥り、国家に背を向け市場に押し寄せた国民の目を曇らせ、今一度社会総動員に必要な政治的恐怖を醸成したのである。

注2 二〇〇二年七月の新経済改善措置は「これからは『共産主義』スローガンはみななくせ、タダ(無料=福祉)を大幅になくせ、『実利』を打ち出して『われわれ式社会主義』を固守せよ」という方針に基づき、国家計画経済体系を再整備し、物価と勤労者の名目賃金のみを数十倍に高騰させる一方、市場を一年近く無理に閉鎖して、全勤労者が国営企業の職場に復帰するように要求した。

しかし実際に工場は操業できる状態ではなかった。
その根本原因の一つに配給途絶があった。「配給途絶」とは、受給者である勤労者大衆に対する政府の債務である。
国際支援で国家に食糧が入ってきても、政府のこの債務返済は依然として履行されなかった。

不正腐敗で信用を喪失した政権が職場復帰を訴えても、その言葉にうまくいくという真実性はなかった。
結局、政府は一年足らず後、農民市場に替わる「総合市場」を開設した。
しかし、その間のハイパーインフレで、北朝鮮紙幣を握り占めていた庶民の財産は一〇分の一以下に目減りし、ドルをはじめとする外貨を握っていた権力者のみが、強大な競争力を獲得し、「総合市場」は不平等な出発となった。
注3 農民市場とジャンマダンについては、「北朝鮮経済官僚極秘インタビュー 6」の注を参照のこと。

注4 二〇〇七年の「市場抑制」措置以前に、「非社会主義現象との闘争」グルパ(グループ=小組)によって調査された数字。
アジアプレスの内部取材で得た情報。いずれ関連文書が表に出てくると思われる。
注5 一九九〇年後半、先軍政治を標榜し始めた北朝鮮社会では、最高権力集団を「革命の首脳部」と称するようになった。
もちろんその中心は金正日だ。

ちなみに、一九七〇年代から一九八〇年代に至る期間にも、北朝鮮では金正日を頭目とする権力者集団を曖昧に「党中央」と称したことがある。
当時「党中央」が「壁をドアだといえば、(人民は)開いて入って行かなければならない」と言われる程に、その絶対性、無条件性が強調された。

その頃、幹部であれば、皆ヘアスタイルはスポーツ刈り、上着はジャンパーと、外見でも金正日を模倣したほどであった。
元々「首脳部」とか「党中央」という用語は、皆、中国から持ってきた言葉だ。

しかし、中国とは異なり、北朝鮮ではこの機構の範囲はどこまでなのか、正確に公開しなかった。
したがって、「首脳部」とか「党中央」は、公式の国家権力機構ではない。「党中央」は「速度戦、電撃戦、殲滅戦」というヒットラーのようなスローガンを掲げて、革命を起こすのだと騒いだ。
今の「革命の首脳部」は「先軍革命」なるものを打ち出している。

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