【やんばるの工房で藍染体験をする学生たち】撮影:柳本通彦
「左右」
明治学院大学高原ゼミの一行とは、辺野古から高江の米軍海兵隊北部訓練場(ヘリパッド建設予定地)を経て、やまあい工房(伝統の藍染を復活)、さらに人形劇場「かじまやぁ」(台湾の布袋戯を継承した沖縄人形芝居)などをいっしょに見学させていただいた。
台湾と沖縄を旅した学生諸君からは、いろいろな質問を受けたが、とくに台北の大学生との交流で驚くことが多かったようだ。
明学の学生をびっくりさせたのは、台北の学生たちが台湾史にほとんど関心をもっていないことである。それは多くの日本人が共通にもつ感想なのだが、台湾史上もっとも重要な事件である二二八事件(1947)など、彼らはほとんど事実関係を知らない。事件の資料を集めた二二八記念館へもおそらく九割以上の学生は足を踏み入れたこともないだろう。
台湾では「台湾文化」「郷土史」がブームだったんじゃないの? という声もあるが、総統選挙のときに訪れた日本人ライターは、あれは単なるファッションに過ぎなかったのではないかと、言った。なるほど、そういう見方もあるかもしれない。
いずれにしろ台北の大学生と話してみると、中国国民党が復活した背景もなんとなく頷けようというものである。
学生諸君からは、その国民党と民進党の違いについても、質問を受けた。
我々の時代は当然だが、いまの学生も政党や政治思想を左右で判断すると知って少々意外におもったのだが、ある学生は、民進党は「左」あるいは「革新」なのかと問う。
台湾現代史的に見れば、民進党は「革新」なのかもしれないが、日本の軍歌を宣伝カーで流したりするのをみれば、これは右翼かと判じる人もいるだろう。
一方国民党は、共産党と激しい内戦を戦った政党であるから、反共政党とみられているが、実はその成長過程を検証すれば、共産党とは双生児の間柄であることが判明しよう。組織形態も共産党に酷似している。
確かに、台湾の政党を「左右」「保革」の物差しで計ることは困難であるし、ニッポン的常識に、台湾の政治を当てはめるのは不可能に近い。
そういう点からも、台湾史に触れることは、頭脳の老化を防止する効果があると思っているのだが、どうだろうか。
そして、我々がいま台湾で何より学ぶべきことは、中国人=華人経済圏のダイナミズムではないかとおもう。