ビルマ潜入紀行~惨劇の前兆(中)

※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネ  ームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署  名を「宇田有三」に統一します。

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【写真:ラングーンで起こったデモがマンダレーに来るのを期待していたウー・パパレー氏(2007年8月末撮影)】

その日の午後、友人と連れだって「ヒゲ兄弟」として有名な喜劇役者のウー・パパレー氏に会いに行った。
ウー・パパレー氏と従兄弟のウゾー氏は1996年、ラングーンで催された国民民主連盟(NLD)の集いで、軍事政権を揶揄するコメディを発表して5年の強制労働の刑を受けた。

ちなみにNLDは、アウンサンスーチー氏が書記長を務める政党で、1990年の総選挙では約8割の議席を獲得している。
しかし軍部は政権はさまざまな理由をつけて権力の座に居座り続ける。
この「ヒゲ兄弟」は、解放後も軍の圧力に屈することなく、マンダレー市内で外国人相手に喜劇を続けていた。

その日も彼らは、スーチー氏の写真をあちこちに貼った自宅兼舞踏場で、私を迎えてくれた。
「久しぶりじゃないか。よく来てくれた。こうやって外国人が来てくれるのが一番良いんだ。外国人の目があることで当局の奴らも我々には直接手出しができないんだからな」

「マンダレーでも何か起こりそうかい?」
「デモはそのうちマンダレーにも来るよ。今、それを待ってるんだ」
ウー・パパレー氏の口調は期待いっぱいだった。
私が感じている街中の平穏な様子とは裏腹に彼は、社会が、人びとが動くのを、今か今かと期待している。
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